2002-03-23

いい加減にしてください    前 編

「葬儀は人を集め、人を走らせる」という言葉があります。

全国からご親戚や「えにし」に結ばれる方々が寄られ、人生の通過儀礼であるご終焉の儀式に参列されますが、それぞれが持ち寄られる地域的な慣習の異なりによるトラブルも多く発生しています。

どこかで耳にされた「小さな慣習」、それは、本家、分家の力関係の中で大きなパワーを発揮してしまい、また、新しい慣習を誕生させることもあります。

慣習とは、一体、誰が決めてしまったものなのでしょうか。
IT社会の中にあっても、葬儀に関する確実な情報把握は薄く、若い方や日頃に立派な哲学を語っておられる方でも、こと葬儀に関する慣習には流される社会構造があり、変革のスピードにブレーキを掛けているように思えてなりません。

親戚間の慣習によるトラブル、その解決にプロである筈のお寺様にご質問をされるケースは少なく、私達に問い合わせをされることが多いようです。
ご質問をされてくる場合、ご自身の考え方に同調を求めてこられるところに特徴があり、専門家のアドバイスすら聞く耳を持たない姿勢を感じます。なぜなら、その時点でトラブルに対する怒りが生まれているからであり、私は絶対に裁判官的な立場に立たないようにつとめています。

「四十九日が3ヶ月に跨ってはいけない」、そんな会話が、すべての葬儀の場で登場してきます。なぜ、いけないのでしょう。そんなことを誰が決めたのでしょうか。

 納得の生まれる説得、この「3ヶ月」問題をアドバイスするには、大変な時間を要する物語で説明しなければなりません。その証拠に、私は「あの世の旅」という小説で、400字詰原稿用紙を635ページも要しました。

 初七日から満中影までの7回の法要。5回目の七日目を迎える「三十五日」の閻魔大王の登場など、中陰についての説明は簡単ではないのですが、これが単純な語呂合わせから由来している完全な迷信であることを知る人は少ないようです。

裁判官でない名探偵が突き止めてみると、「始終苦が身憑き(しじゅうくがみつき)」という馬鹿げた語呂合わせが、その犯人である。 

 迷信は、時に悲劇を生むこともある。ある葬儀のご出棺の場面で揉め事が発生していた。

若くしてご主人を亡くされた奥様に対して、ご親戚の方々が「嫁は火葬場に送ってはいかん」「送るということは再婚の意思があることになる」と言っている。悲しみの喪主である奥様は「主人の最期の場に立ち会いたい。送ってあげたい」と泣いておられる。
 
大勢の会葬者を前に、なんとつまらない迷信を振りかざすのか、この時だけは裁判官どころか、検事と弁護士の役目を一挙に引き受ける行動に出た。それは、決して、フェミニスト的な発想ではないことをご理解いただけますよう・・誤解をされませんように。

 ここから約10分間、淋しく、哀しく、愚かな熱い戦いが繰り広げられる訳だが、その結末は明日に続きます。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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