2007-01-21

美しい自然に  NO 1754


 昨日に体験した岩盤浴について、ちょっと思い出したことがあるので追記を。

 昨年、私が入院手術をすることになった病気だが、その発見につながることになった自覚症状は、過去ログにあるように、布団の上で腹這になって新聞を読んでいる時に感じた腹部の拍動だった。

 柔らかい布団の上でも感じたのだから<固い岩盤の上では?>と興味を覚え、意識しながらビタッと胸腹部を密着させたのだが、腹部からは一切なく、心臓の拍動しか伝わって来なかった。

 それは手術をして問題が解決した結果からだろうが、最近に話題のメタボリック症候群状態にある人でも「腹部動脈瘤」があれば確実に拍動を感じる筈で、岩盤浴で病気を発見され、命拾いや寿命が延びることも間違いなく考えられることであるのでチェックをお勧め申し上げる。

  さて、世界規模で進みつつある恐ろしい地球温暖化現象を採り上げた映画「不都合な真実」が20日からロードショーされて話題になっている。新聞広告にも 「見ないふり 聞かないふりが通じない」というキャッチコピーがあり「地球の裏切りか?」「人類が地球を裏切ったのか?」というフレーズに怖さが感じてい る。

 今すぐに行動を起こさねば、もう取り返しのつかない悲劇の道をということが結論のようだが、ここで私が問いたいのは世界に既存する宗教という問題である。

  人は遠い昔から多くのものを信仰の対象にしてきた歴史がある。太陽、月、星など宇宙から始まり、海、山、湖沼、川、岩から洞窟まで様々なところに神々の存 在を信じ、それぞれが独自の信仰の「かたち」を伝達してきた経緯があるが、どこかで教祖を信仰の中心対象にしたことでややこしくなったみたい。

 オウムもそうだが、集団結婚式を行う教団や、婦女暴行で指名手配されている教祖を崇めていたら悲しいではないか。

 こと地球環境問題に対しては、もはや祈りの段階で結束を固めている場合ではなく、この世に与えられら我々の不思議な命の存在をもう一度見詰め直し、地球や宇宙に対して謙虚になるべき姿勢で取り組むべきであり、もう争いを講じている時間がないと気付いて欲しいものである。

  海がどんどん汚れ、河川に生活廃水が流れて生物達が絶滅の危機に陥り辟易しているだろう。それらは決して「祈り」で救うことが出来ないのが現実。宗教の大 半が「命」のテーマにつながるのなら、今こそ団結されて行動をされるべき。地球の死滅は人類の滅亡であり、そこに宗教の必要性さえ消滅してしまうからであ る。

 地球という物理的問題だけではない。連日に起きる殺伐とした事件の背景に「稀薄」や「社会変化」という宗教の問題も秘められている筈。評論や分析だけではどうにもならない段階に突入しているような気がする。

 日本中で飲酒運転の事故が続いている。「罪を憎んで人を憎まず」との名言もあるが、飲酒運転による交通事故は間違いなく「確信犯」で、被害者や遺族があまりにも気の毒過ぎて「人を憎む、社会を憎む」心情となるだろう。

そんな社会にならないように、まず宗教者は、この問題の解決に向かって行動を願いたいもの。悲しい葬儀を体験している我々葬儀社と共に、真剣にお考えくださる宗教者のご登場を待ち望むこの頃だ。

 日曜日、注目の知事選挙の結果も出るだろう。そこで当選者が「山、海、川など自然を美しくしたいので皆さんの協力を!」と公約してくれる人物がいるのだろうかも心配で、街の発展に経済的な意味合いを感じさす人なら、歓迎をしない時代が目前に迫っているような気もする。

 今日の結びは函館の女性が発信される「空飛ぶ水冠」内のブログ、「迷いの窓」が3作連載で更新されていたので<HOME>接続。どうぞ、ご訪問を。
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