2003-02-09

追憶ビデオ    NO 338

講演の帰路、駅で電車を待っていると、1ヶ月ぐらい前の葬儀でお会いしたお寺さんと偶然に出会った。

 電車が到着するまでの3分間程度だったが、弊社にとって進展となる嬉しいお言葉を頂戴することになった。

 そのお寺さんは。その葬儀で導師をつとめられ、今、そのご当家の満中陰を済まされての帰路。

 「お斎の食事をいただきながら、見せて貰ったよ」

 それは、弊社が通夜と葬儀で放映している追憶ビデオで、当日に生でナレーターしたものを後日に吹き込んでプレゼントしたもの。

 このお寺さんとは、今回の葬儀が初対面で、担当したスタッフが切り出せず、導師が入場される前に放映していたケースであった。

 「あれは、いいよ。感動した。あれだったら、式次第に組み込み、私が引導作法を終えた時に流せばいいよ」

  約25分の時間の差がある開式前の時間と引導終了時。両者での参列者の人数も当然異なってきて、「多くの参列者のいる時に」と願われるご遺族の思いからす ると反しているが、そのお言葉を耳にした時、「よくぞご笑覧くださったものだ」とご遺族に対する感謝の念でいっぱいであった。

 顔なじみのお寺様には、「無理なことでしょうが、『引導』の後で」とご海容を願っているが、「よかった。感動したよ。故人の知らなかった人生の理解につながり、その後のお経に力が入ったよ」との嬉しいお言葉を頂戴したこともある。

 中には、これらを頑として許容されず、「導師の入場前に済ませておけ」というタイプのお寺さんもおられたが、確かにお経は有り難いかも知れないが、ご遺族や参列者の存在を慮ることになれば、きっと心の扉を開けてくださる信じている。

 追憶ビデオに用意したナレーション原稿だが、導師が済まされた引導や表白のお言葉を拝聴しながら、それらの一部をアドリブで加えることも少なくなく、そんなナレーションが最も評価される結果となっている。

 あるお寺の住職さんの通夜だった。10数人おられた同派のお寺さんの意見が分かれ、ビデオとナレーションをどうするか議論が交わされたことがあった。

  「在家さんなど、檀家の参列の存在を重視するなら意義がある」と決行が許され、通夜と葬儀に異なる映像とナレーションを担当したところ、数日経った頃、反 対意見を述べられておられたお寺さんが来社され、当山の先代住職の三回忌に制作して欲しいと、30枚ぐらいのお写真を持ってこられた。

 「あれ、よかった。あれだったら歓迎だ。どうも世間知らずであったようで恥ずかしい」

 そんなお言葉を耳にした時、あらたなやりがいと自信が生まれた瞬間でもあった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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