2002-08-18

音楽のパワー   NO 169

偉大なロック・ミュージシャンのエルビス・プレスリーが逝去されたのは1977年のこと。私は、彼の死を大きく伝える新聞記事をリオデジャネイロで見て知った。
 あれから、もう25年の月日が流れたことになる。

 人が死を迎えると、その人のすべてを持って旅立ってしまうもの。技術、知恵、知識、感性、才能など、アーティストやエンターテナーと呼ばれる人に代わるものはなく、それらは「死」の最も空しく悲しい現実のひとつである。

 下手の横好きと言う言葉があるが、私もギターやピアノ、電子オルガンに挑戦したこともあり、楽器を奏じる難しさだけは知っているつもりだ。

 様々なコンサートにも出掛けたが、やはり本物の奏者の演奏は素晴らしく、演出照明の効果があるかも知れないが、楽器そのものが幸せそうな表情を見せ、輝いているように感じると共に、何と言っても「音」が違うことだけははっきりと分かる。

 最近の情報社会の中、我々の業界にも情報誌が誕生し、著名人の葬儀の形式が掲載されてあり、使用された音楽まで詳しく記載されていることもあるが、誰もが知る程度のクラシックが中心になっている現状に淋しさを覚える。

 音楽が自然に流れ、自然に耳に入ってくる。その曲名は不明だが不自然ではないし、この光景の環境空間に確実に合っている。そんな選曲が重要で、特にクラシックの場合は、コンダクターの違いで異なりがあることを理解しなければならないだろう。

 そんな世界で、次元は低くともオリジナルCD「慈曲」の存在は有り難く、十分に活用している。

「あの場面での音楽は?」
 そんなご質問も何度か頂戴したが、「慈曲」のCDタイトルをお見せすると、「こんなCDがあるのですね」と驚かれる。

 このCDの創作には、二人の思いが合致して誕生したという背景がある。ひとつは共通して抱いていた「葬儀に於ける音楽の重要性」で、もうひとつは葬儀の現場での体験から
儀式たるものを熟知していたことになるだろう。

 抽象的で理解し難いレベルのシナリオ構成。それを旋律として見事に具現化してくれた作曲者の美濃三鈴さん。彼女の卓越された編曲力と演奏テクニックは素晴らしく、仕事でご一緒する度に表現力がアップされている思いがしている。

 照明が落とされ、彼女が演奏する曲のイントロ部分が始まった。やがてナレーターとしてスタートする頃には、会場空間の環境が確実に変化している。

シンセサイザーの特色である「音色」の決定でのやりとりには熱い戦いもあるが、互いが納得をした時に生まれる環境空間は、音楽にしか出来ない演出パワーがある。

  ある葬儀が始まる前、喪主である奥様に、ご主人がお好きであられた曲を尋ねたことがある。その時、奥様は「絶対に無理な曲なのです」と答えられた。伺った 曲は確かに葬儀の式場には全く合わない曲であり、そのまま流せば儀式空間どころか会場空間さえ壊してしまう恐れがあった。

 それから15分後の本番。その曲は見事にレクイエム調に編曲されており、旋律に入ったところでは、奥様の目が白いレースのハンカチで覆われており、終了後、「あなた達はプロね」というお言葉をいただいた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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