2003-09-02
知的所有権の将来に・・・ NO 534
私は、プロデューサーであり司会者でもある。非日常的なことである葬儀の世界。そこであまり注目されなかったこのふたつが、最近、重視されるようになってきた。
このふたつに共通することは、究極のサービス業ということ。確実な情報把握からシナリオを構築、有形無形の情報伝達を生業とする世界である。
HP内に羞恥のページ「久世栄三郎の世界」があるが、取り敢えずの間に合わせで掲載したこの部分の改訂が遅れている。
ここに企画していたシナリオ、その完成には絶対不可欠となる「曲」の存在がある。これなくしては主人公のいないドラマとなり、プロデューサーとして最大のミスキャスティング。
そこで八方手を尽くし、この短いドラマ?の完成を目指して走り回ったが、葬祭業という低次元な社会認識が壁となり、今、正直言って苦戦中。
昨日、若い男女のスタッフを走らせることになった。行き先はジャスラック、日本著作権協会である。
私が彼らに与えたテーマ、担当窓口の人が素晴らしい人で、二人を控え室に案内のうえ丁寧にアドバイスをくださったそうだ。
私は、彼らにもうひとつの案件を課していた。それは、今後の葬祭業に波及するであろう知的所有権の問題。現在の著作権規定では、両者に不都合が生じる大問題。これに対してその方は、あちこちの関係機関に問い合わせをくださり、次のようなお言葉を頂戴してきた。
「難しい問題です。数日間の猶予をください。何か方策があるかも知れません」
長時間、真剣に対応くださったこの方に、彼らはえらく感激しながら帰社してきたが、「本当によい勉強ができました」という報告が何より嬉しいことであった。
さて、プロデューサーとは猪突猛進型では成り立たない。自身が描いたシナリオが<完遂できなかったら?>との危機管理の心情も重要。そこでそんな場合の策を講じる余裕も必要。HPに関しては、別の道をシナリオ化してあるのでご安心を。
ナレーション創作のコンセプトは、「命」。本番の時よりも少しソフトにトーンダウン。あくまでもHPに準じたレベルで語るが、司式バージョンのイメージだけは伝わる筈。
上述の猪突猛進のことで思い出したが、プロとはハプニングをハプニングでないように解決するのも仕事。去年の秋、7分間のビデオ映像を流しながらナレーションをスタートした時、考えられない機材の故障でトップ画面が固まった。
映像が固定されたままナレーションを続けたが、動き出したのはそれから4分後。エンディングに合わせるなら4分のアドリブナレーションが必要。私は、30分程度ならアドリブが可能。問題なく解決したのは当然だが、周りのスタッフが慌てふためく光景が何より問題。
「人が倒れた時と火が出た場合以外は、絶対に慌てるな」 そう叱りつけたのは言うまでもない。