2003-02-23

発想の転換    NO 353

あまり使用されることはないが、年齢の若いことを「年弱(としよわ)」と言い、数え年の年齢とも同意で、この場合、その年の後半に生まれたことを表すことにも使われている。

 高齢社会を迎えているが、驚くほどお元気なお年寄り達がおられる。「新老人の会」の結成にご尽力された聖路加病院の日野原先生も、その代表的なお一人であろう。

 その日野原先生と同年代の女性が表現されていた言葉に目が止まった。

 「老いは来るものではなく、迎えるもの」

 これを、そのまま葬儀に当て嵌めてみると、重みのある言葉が強調され、そんな発想の転換は、これからの人生観に大きな変化を与えてくれるように思えてならない。

 私も四捨五入すれば60になる年齢。上記の方々からすれば「年弱」と言われるだろうが、身体のあちこちに「老い」の信号を感じており、上記の言葉に触発され、心を若くして「老い」と「死」を迎えてやろうと意識転換したいと思っている。

 さて、昨日に担当した講演の質疑応答の時間に、美人で聡明なイメージの女性から強烈な質問を頂戴した。

 要約すると「久世栄三郎の世界は理解出来る。しかし、司会の技術、悲嘆ケアの重要性などは、後継者の存在が極めて重要で、それらを継承される活動の展開は?」ということであった。

 正直に言って、これは、一昨年まで、私が心の中で焦っていた問題であり、この解決なくして死を迎えることなどまっぴらで、昨年から伝承への努力を始めていた。

 弊社は、長男が後継者として入社し、若いスタッフ達が私の求めているプロ意識に結束を固め、やっと「かたち」となって表れ始めた段階となった。

 また、弊社が加盟する日本トータライフ協会の研修会への参加や、各社との深い交流の中で育まれた意識改革も実を結び、自身を磨く行動に情熱を燃やす姿勢が見え、私が最も与え伝えたい葬祭哲学の信念と技術を受け入れる態勢が整ったと確信している。

 社員の平均年齢は26歳だそうだが、全員がホスピタリティーのプロを目指していることで共通しており、彼らは、必ずや近い将来に大成するであろうと信じている。

 トータライフ協会の若いメンバー達も育ってきている。
それらは、彼らが発信しているコラムの内容に顕著なように、葬祭業の将来のありかたを確実に捉え、自分達の仕事とメンバーとして選ばれたことに対する誇りを抱き、高い文化の創造を指針しており、協会を設立した目的を誤まりなく理解してくれているので安堵している。

 哲学は、他人から教えられるものではない。自身が歩む人生の足跡に生まれるもの。生きた「証し」をしっかりと残したい時、その行動がその人の哲学になるのかも知れない。
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