2003-02-21

犠牲者に手を合わせ    NO 351

毎食のデザートがクスリ。お陰で今日の昼頃から風邪の症状が和らいだ。

 夜遅くに帰阪し、この原稿を打っているが、昨夜のマッサージが効いたのか腰痛も楽になっている。

 しかし、声の調子が今ひとつ。明日の講演が心配だし、受講者の皆さんに申し訳がないところ。明日に快復していることを願いながら寝る前のクスリを飲む。 

 さて、韓国の地下鉄火災の被害者が気の毒でならない。報道によるととんでもない人災。災難という文字で許せることではなく、人の世の荒んだ危険性を再認識した思いだ。

 私は、昔から地下鉄には乗らないことにしている。もしも大地震が発生したらどうなる?
 空が見えるところで死を迎えたいし、えにしに結ばれた家族に自身の遺体をそのまま残したい思いもあり、飛行機に乗ることも嫌いなのである。

 テロや犯罪犠牲者の家族の心中は、それこそ筆舌に耐えない辛苦であろうが、加害者の「申し訳ありません」との言葉がなければ一縷の救いもないだろう。

 我々葬祭に従事する者は、宿命として事件絡みの被害者の葬儀を担当することになるが、遺族の衝撃の悲しみに接する時、自身の仕事を後悔する時でもある。

 ある殺人事件の被害者の通夜が始まる前だった。捜査本部の刑事さんが2人来られ、「必ず逮捕しますから」と遺族に誓う言葉で慰めていたが、こんな光景はテレビドラマの中だけであって欲しいものだ。

 弊社に毎年やってくる刑事さんがいる。彼は、少年犯罪の防犯担当で、弊社のカラーコピー機で数百の小冊子を作成されるのだが、そんな彼が「考えられない時代の到来だ」と言っていたのを覚えている。

 今や事件は「何でもあり」。こんなことをやるとは思わなかった。そんなことが次々に発生し、密入国問題も関係し、これまでなかった凶悪な犯罪が増えているそうで、自分を自分で守らなければならない時代だとも力説していた。

 子供や女性の被害者も増える。これまで安全だと言われてきたところも危険が秘められている。「最早、犯罪の世界に美学が消えた」と発言されていた社会学の教授の言葉も理解できる。

 今後、そんな被害者の葬儀が増えてくることだろうが、我々自身も「葬祭心理学」を研鑽し、悲嘆に陥る遺族への最良の接し方を勉強しようと思っている。

 交通事故や自殺の葬儀も耐え難いもの。悲しむことや辛い体験をすると他人に優しくなれるという言葉が存在しているが、そんな葬儀を担当し、他人の悲しみに多く接する我々は、一般の方々よりも「他人にやさしい」と言えるかも知れない。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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