2019-08-14

あのころは  NO 8552

竹葉新葉亭のリンゴの木出掛けていて自宅に戻ったら玄関の外扉が開いたまま。強風であちこちで自転車が倒れているのを目にしたが、我が家の扉まで開けてしまうとはおかしいと疑問を抱いた。過去の台風で扉が飛ばされたことがあった。友人の建設関係者に修理を頼んだ時のことを思い出す。

それは私が大病を患ってリハビリ入院から退院してしばらくした頃だった。妻から[やっと依頼が出来て今来てくれて作業が始まっている]と言われて玄関に出たら、久し振りに会った友人の姿があった。

彼は私が大病を患ったことを知っており、互いに身体に気を付けようと伝えたら、「ちょっと体調がおかしくてね」と感じている兆候を話し始めた。それは間違いなく脳梗塞の前兆で、すぐに戻るのは一過性虚血脳梗塞の可能性が高いとアドバイス。すぐに医療機関に行けと勧めたが、仕事がいっぱいあって難しいと言っていた。

その日の夜、彼は就寝時に目が覚めて天井が回っていることに驚き、昼間の私の話を思い出し、救急車を依頼して救急搬送されたら、脳梗塞ですぐに点滴で解かす治療を受けて後遺症もなく退院することが出来、奥さんと本人から「命の恩人」と感謝されることになった。

彼はその後にも同じ症状で入院したが、点滴治療が早くて助かったと言っていた。

私の場合は午前2時半に就寝し、気持ちが悪くて目が覚め、自身で脳梗塞と判断し、妻に救急車を呼ぶように頼んだが、それが午前4時半頃のことで、救急車の車内で受け入れ先の病院が見つからず30分を費やし、やっと見つかった病院まで30分を要したのだから点滴で治療可能な時間を過ぎており、予想もしなかった闘病生活を強いられた。

様々な検査を受けて脳梗塞が判明したが、医師達の会話を耳にして自身のエンディングを覚悟した。

「脳幹損傷」「延髄損傷」「左半身知覚障害で温覚と痛覚が麻痺」「右半身不随」「呂律回らず」「複視症状あり」「顔面麻痺」「声帯半傷」「嚥下障害による誤嚥性肺炎発症」なんて
耳にしたら誰でも「終わった!」と思うだろうが、それが杖を手に何とか歩くことが出来るようになり、変な声でも講演出来るように奇跡の回復が出来た。

「タオルを絞れること」「シャツのボタンも可能」「ネクタイも結べる」と今まで当たり前のことが出来て感動したこともあったが、何でもないことが幸運で幸せということを学んだ。

入院時はベッドの上に座ることも出来なかったし、リハビリ室で平行棒で歩こうとしても立ち上がることが出来なかって衝撃を受けたが、リハビリ専門病院へ転院してから一般的な患者さんの6倍以上も歩く努力をして、やっと歩行が出来るようになった思い出がある。

脳梗塞の兆候は必ずあると言われている。私の場合にはその1年前に腹部動脈瘤の手術を受け、執刀医から模型を前に手術内容を聞かされた際、血管を一時的に止めることになり、つながって血液が流れた際に血管のゴミが流れる危険性があり、心臓部分なら「心筋梗塞」「脳内なら脳梗塞」と言われて覚悟をしていたが、退院後しばらくすると足の冷えを感じ始め、銭湯で湯船に入ったら左半身が水風呂に感じる不思議な兆候もあり、テレビを見ていたらシネマスコープみたいに画面が変形し、眼科で視野検査を受けたら下半分が全滅で、「年齢から来る兆候です」と診断されたが、それが脳梗塞の信号の一つであった。

女性司会者と2人でナレーションをしていた時に、2秒間ほど呂律が回らない異変があり、彼女から「すぐに病院へ」と言われたのに、その数日後に発病してしまった。

冒頭の玄関の扉に戻るが、中玄関の前に宅配便が届いていた。北海道の「トウモロコシ」で、送ってくださった人物とは函館で再会することになっており、その時にお礼を伝えようと思っているが、すぐに茹でて美味しく頂いたことを書いておこう。

昨年の秋に北海道を訪れた際、苫小牧の友人に登別温泉の旅館を予約して貰ったが、夕食に大好物のトウモロコシが出て来て、彼の温かい配慮と知って嬉しかった。

その時は空路で秋田へ飛び、五能線で青森へ行き一泊し、翌朝の津軽海峡フェリーで函館に立ち寄ったが、昼食だけで「特急スーパー北斗」で長万部へ行き、普通列車に乗り換えてニセコに行き「紅葉音(あかばね)」を利用したが、病的な偏食を手紙で伝えていたら、料理長がキメ細やかな対応をしてくれて感動した。

今日の写真はお気に入りの函館湯の川温泉「竹葉新葉亭」の中庭にある「リンゴの木」であり、部屋から撮影したものである。
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