2019-03-24

年貢の納め時かな  NO 8455

函館 郷土資料館NHKの夜の番組で「脂肪肝」の特集をやっていた。視聴者が7つの質問に答えて出た数字でリスクを知るというものだったが、私の数値は「5」だったので低リスクだった。

数年前に膵炎で3回入院したが、2回目の時は土曜日の発症で月曜日まで我慢していたので悪化し、11日間も絶食という体験をして最悪だった。

その時の主治医が1回目と同じで、「また来られましたね」と笑われ、1回目の時に「脂肪肝」があると指摘され、こんなに絶食すれば少しは改善と質問したら、「何年も蓄積したものはこんな絶食では改善しません」と笑われたことを思い出した。

前にも書いたが、1回目の退院時に「退院証明書」を担当医から貰ったが、そこに「寛解」という文字があり、帰宅してから辞書で調べたら記載されておらず、ネットで検索したらそれが「完治したともいえないが、取り敢えず治まった」ということを表す医学用語であることを知り、それから病気と友達で凄そうと考えるようになった。 

さて、金曜日に受けた採血検査の結果が気になっている。もしも問題の数値が高かったら「紹介所を書いたから病院へ入院を」と医院の先生から電話が有る筈で、明日の月曜日が心配である。

前号で触れた温覚と痛覚のことだが、この知覚障害を確認しようと「あんか」を膝部分で挟んでみたら、やはり左足は温度を感じることはなく、痛覚だけ少し改善したようである。

左足の大腿部の痛みが酷く、これでは何処もいけない状態だし、自宅を出るとすぐに花粉症の兆候が出るので深刻で最悪となっている。

夫婦で医院や病院ばかり行っているが、互いが70代まで生かされてきているので無理もないとは思うが、知人や友人に我々より高齢なのに元気いっぱいという人達も多く、診察券や薬を服用する話題になると笑われている。

前号で書いた「おとなび」の情報誌4月号だが、「金栗四三氏」の故郷に続くページに昨年の夏に行った日田温泉の旅館が掲載され、我々はそこに宿泊をしたが、「洋風屋形船」は利用せず、部屋の露天風呂に何回も入って温まっていた。

次の日は歴史で知られる「豆田町」を散策したが、記録的な夏日で熱中症寸前になり、平山温泉の次の日に行った柳川の「鰻料理」は食べたが、北原白秋の記念館でタクシーを頼んで貰い、柳川駅から西鉄で博多駅に戻って2時間ほど早い時間に切符の変更をして帰帆していた。

一昨年、昨年と福岡の太宰府天満宮に参拝したが、どちらも記録的な夏日でフラフラになったことを体験している。

間違いなく体力が弱った。それに連れ筋力や免疫力が著しく低下するので気をつけなければならないが、歩けなくなったら内臓が弱ってくるので何とか痛みを堪えて歩かなければならない。
BSのドラマを観ていたら「若村真由美さん」が北海道の女性刑事役という設定で、登別温泉が舞台となっていたが、昨秋に宿泊利用した「花ゆら」のすぐ近くの旅館が登場していたし、閻魔堂も出てきたので懐かしく思いだした。

登別温泉は6回行ったと記憶しているが、「第一滝本館」の大浴場の迫力はびっくりで、大浴場がメゾネット型で2階建てというのも印象に残っている。

旅の情報誌や新聞の旅行広告を見ているとあちこちへ行きたくなるが、目が見えなくなったら最悪だし、弱り始めた体力が動ける内に出かけようと考え、旅行先のことを想像しながらストレッチにも取り組んでいるこの頃だ。

もしも入院することになったら、今度は長期化する恐れがあり、ひょっとしたら退院出来なくなるかもしれない。そんなことがありませんようにと手を合わせて就寝することにするが、また目の調子が少し戻ったら「幸せ列車」の小説「女将シリーズ」にも投稿をする。

今日の写真は8月に行く予定の函館市立博物館郷土資料館の外観だが、昨秋に行った時は台風の被害で大変だったそうで、館長を務める友人が語っていた。この建物は函館ベイエリアにおある観光スポットとして知られる金森レンガ倉庫を造った人物が初めて「洋物店」を開店した当時の建設物で、当時の珍しい物が見学できる。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net