2004-10-25

初体験?  NO 953


 これまで多くの講演を担当する機会を頂戴してきたが、受講された方々との交流が始まった「えにし」にも恵まれ、その歴史は私の人生に於ける大きな宝物であると思っている。

 講演とは一方通行で進められるもの。与えられた時間を精一杯努め、拍手を頂戴して?終了となる。

 8年前ぐらい前のこと、女性団体の講演で質疑応答を依頼されたことがあった。

 <まあ、いいか>と安易に了解を出したことで、思わぬ貴重な体験となった出来事だが、150人の団塊世代の女性達から受けた質問には強烈なことが次から次に。

  我々葬儀社に対する抵抗感、また宗教者に対する不信感のオンパレードが実態だったが、衝撃を受けたのは「白木祭壇」に対する抵抗感で、「好きでない、花祭 壇の方が好みと思われる方は?」の問い掛けに何と6割以上の方が挙手をされ、予想もしなかった社会リサーチになったので印象に残っている。

 それをきっかけに、講演での質疑応答を大歓迎し、新感覚の花祭壇を構築するようになったのだが、最近の傾向にはそれらがいよいよ顕著。仕入れ先である葬祭用品総合商社の商品パンフレットにも白木祭壇が隅に追いやられ、現代祭壇が潮流となってきている。

 お棺を取り囲むビューイング形式も話題となり、無宗教形式も花盛りという現況を迎えているが、その前で「何を行うべきか?」ということが全く完成されておらず、陳腐で不可思議な葬送の「かたち」で進められていることに憂いを感じ、問題提起をしたいところである。

 祭壇のイメージが変われば必然として式次第を変えるべき。音楽、演出、司会トークなど、総合的なプロデュース力が重要となってくる筈だし、何より宗教者のご理解をいただく努力も大切だろう。

  ホテルで行われる「偲ぶ会」「お別れ会」「社葬」など、また無宗教形式による進行の場合、私と共に従事する音響ミキサー、照明、奏者の方々は大変。特に前 方で司会を担当する場合、本番中なのに突然にシナリオを変更することが多く、音楽の変更、客電明暗の度合い変更などは日常茶飯事、それらは、すべてご遺族 や参列者の表情と会場空間の意識変化で判断している。

 <ちょっと退屈? 悲し過ぎるからちょっと励ましイメージで?>

 そんな会場空間の変化を察知し、瞬時に決断決行を命じるのだが、これまでの歴史の中での「独断」は、すべて「英断」となった結果に満足を抱いている。

 ただキャスティングされたスタッフ達には災難だろう。<いつ、変更が?>という緊張感の継続が求められるから。「終わった。表現できない疲れがドッと。もう、嫌い」なんて言葉もちらほら耳に。

 さて、結びに、今日、日本トータライフ協会のメンバー専用掲示板以外で、初めて「掲示板」という世界に書き込みを行った。昨日に書いた女性司会者さんの「気mamaなひとりごと」の掲示板。いよいよ「変なオジサン?」と思われていることだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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