2004-02-29

??年前    NO 716

昨日にメールのことを書いたが、メールを頂戴したのは2月27日。「ご仏縁」という言葉を思い浮かべながら、感慨に耽る出来事が甦ってきた。

 ちょうど3年前のこの日、私は小倉駅に直結するリーガロイヤルホテルに宿泊していた。

 ある密葬儀の司会を担当することになり、ディレクター、セレモニーレディ、女性司会者を伴っていたのである。

 密葬儀と言っても参列予定者が700人という規模。緊急に入った仕事でスタッフのキャスティングが間に合わず、ディレクターとセレモニーレディは東京から。彼らが乗った「のぞみ」に新大阪駅から合流した。

 本番は次の日だが、到着したのは夜遅く。早朝に小倉駅から在来線の特急列車に乗らなければならず、夜中にバーで打ち合わせをする状況だった。

 結果として本葬となる社葬のプロデュースと司会も担当することになったが、3月2日にメンバーが名古屋のホテルで大規模な社葬を控えており、この日から1週間、新幹線で5000キロという移動を強いられた。

 大分での密葬を終え片付けている最中、名古屋から電話が入り「ぎんさん」がご逝去という一報もあり、社葬と同日に重なってしまい、女性司会者のキャスティングで大変だったことが懐かしい。

 あれから3年の月日の流れ。伴って行った弊社の女性司会者も退社。今は実家のある他府県に在住している。

  彼女の司会には不思議な魅力があった。誤解を招く表現だろうが、分かり易く言えば冷たいイメージがホテル葬や社葬にぴったり。司会者に重視される「気品」 が「貴品」と呼ぶべき独特の雰囲気を醸し出し、収録撮影する映像のプロに「彼女をアップでばかり撮るな」と指摘したら、「不思議にカメラを向けてしまうの です」と返してきたぐらい。

 彼女は、入社後の半年間で見事に技術アップを成し遂げた。その裏側で努力していた苦労を察するが、弊社の社史に輝く「人<財>」の一人であったと思っている。

 退社してからも何度かホテル葬や社葬でキャスティングをしたが、トーンと呼吸が私との掛け合いにマッチし、このペアの「味」は全国でそうあるものではないと自負している。

 さて、そんな彼女に大きな影響を与えたのがオリジナルCD「慈曲」の存在。恐らく彼女は何百回と耳にしただろうが、その旋律のイメージに自分の世界を迎合させたことが感性の素晴らしさ。「完成」の裏側に「感性」があった訳である。

 今、弊社には、彼女を目標にする女性スタッフ達が育ってきている。昨日の葬儀でエレクトーン演奏に長けたスタッフに「ナレーションをやれ」と突然に指名したが、合格点を出せる程度にはなっていた。

 司会者には、それぞれの個性がある。ナレーション原稿も、その個性を活かす創作構成が重要だ。彼女達には、もう、個性を光らせる時期が到来したように感じている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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