2015-02-13

昔の話  NO 4103

地方から私を訪ね来てくれる人も多いが、それぞれが滞在可能な時間に合わせて食事を共にすることになり、お気に入りの店があるので好みを確認してから出掛けることもある。

地方の人々で歓迎されているのは近鉄百貨店の横から上町線の次の駅である「阿倍野交差点」方面に向かい、中間ぐらいを東に入った所にある「たこ壺」の明石焼きとお好み焼きで、再来阪された際には「あそこへ」と要望されることが多い。

また、関東では珍しい紅生姜の天ぷらも喜ばれる。あべのハルカスのすぐ南側にある「ざこば」という居酒屋店がお勧めで、何度も行ったことから天ぷらを食べてはいけない症状になり、3回も入院した。

これは「ざこば」という店の責任は全くなく、当時に弊社の西館の真向かいに串カツ店がオープンしたことも重なり、1週間ほど連日のように地方から来阪された友人や知人があったからで、兆候を感じながら医院で診察を受けるのが遅れた事情もあった。

前にも書いたが、夏の暑い時期に深いご仏縁に結ばれる方が亡くなり、お通夜に行く前に診察を受けたらそのまま病院を紹介されて入院となってしまい、葬儀当日に「お別れの言葉」を捧げるご生前の約束が果たせず心残りとなっている。

さて、喫茶店で常連客の高齢女性から「珍しい物を見せて上げる」と言われ、財布の中から新券状態の伊藤博文の1000円札にびっくり、そこから昔のお金の話題が盛り上がった。

昔の1000円札、5000円札、10000円札と言えば聖徳太子で知られているが、500円札、10円札、1円札、穴のない5円硬貨に話が及び、試験管に割箸を入れて凍らせたアイスキャンデーが2円50銭だったと言ったら、「あなたの年齢は?」と質問され、正直に答えると「誤魔化している」と返された。

年齢詐称はしていないが、50銭硬貨を体験していたことは事実で、はるか年上の人物に疑われて不思議に思うことになった。

彼女は日本の歴史に造詣深く、過日の祝日だった建国記念日についても興味深い話を教えてくれ、来店していた人達の注目を集めていた。

大和三山と言えば「香久山」「畝傍山」「耳成山」だが、近鉄大阪線で伊勢方面に向かうと大和八木駅を過ぎてすぐ左側に見えるのが「耳成山」で、そこを通るといつも大和三山のことを思い浮かべる。

日本書紀から決められたのが「神武天皇」が即位をされた時を国の始まりと定める紀元節の由来だが、神武天皇の御陵は橿原神宮のすぐ横の畝傍山にある。

日本神話に出て来る天皇の在位を遡ると紀元前660年ぐらいになるそうだが、神武天皇はご長命で、日本書紀では127歳、古事記では137歳で崩御されたとあるそうだ。

45歳で高千穂の地から出られたという説があり、昔の港を「津」という言葉で呼ばれた歴史から地元では「御津」と呼称されていたのが「美々津」に伝わるようになり、日向をそう呼ぶことが伝承されており、過去に大阪南港から宮崎へ向かう大型フェリー「美々津丸」を利用したことを思い出した。

今日の写真は畝傍山の神武天皇陵を。
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