2020-03-22
すっかり填まって NO 8743
先週に食事を共にした友人が「最近はユーチューブを観ている」と言っていたが私もひょんなことからユーチューブを観ることになり、すっかり填まってしまった。
NHKの朝ドラで偉大な作曲家である「古関夕而さん」夫妻を採り上げることになり、東京オリンピック行進曲や高校野球で知られる「名曲」を調べていたら、自衛隊に属する5人の女性歌い手の存在を知るところとなり、鶫真衣さん」の歌声に出会い、すっかり聞き惚れてしまい、様々なユーチューブを開けることになった。
「古関祐而さん」は六甲おろしでも知られるが、NHK包装でスポーツ中継が始まる際に流れてくる軽快なマーチは誰でも耳にしており、故郷である福島県に記念館もオープンしたことを知った。
1964年の東京オリンピックの入場式の中継が世界中に流れたが、行進曲の作曲者について問い合わせも多かったそうで、古関祐而さんの素晴らしい感性を耳にしただけで感嘆された人も凄いと思っている。
ユーチューブで懐かしいベンチャーズの映像がいっぱいあった。全国には今でも多くのファンの存在があるそうだが、ご当地ベンチャーズがあちこちに結成されておる、女子中学生のベンチャーズも登場していることも知った。
青春時代にフォークやベンチャーズを聴いてギターに興味を抱き、友人達とグループを組んで楽しんでいた時代も懐かしいが、ユーチューブの中にクロード・チアリさんの演奏される「夜霧のしのび逢い」もあってレパートリの1曲だったので無性に懐かしかった。
この曲を一緒に演奏していた仲間は若くして亡くなってしまい衝撃を受けたので忘れられないが、今でも旋律をはっきりと憶えている。
ユーチューブの中にザ・フォークルセダーズもあった。テープレコーダーを早回りさせた「帰って来た酔っ払い」で一世を風靡されたが、加藤和彦さんの作曲のセンスは素晴らしく、「白い色は恋人の色」を初めて耳にした時は鳥肌が立つ衝撃を受けた。
「イムジン河」の旋律も好きだったが、この年齢になってユーチューブみたいな世界で見聞き出来るとは嬉しいことである。
ベンチャーズに関することで私の人生の考え方を大きく変化させてくれた秘話があり、再掲となるが書いておこう。
私が「慈曲葬」を発表してしばらくした頃だった。デモンストレーションに参加されていた人物からアポがあって友人の割烹で食事をすることになった。彼は音響と照明のプロで、「慈曲葬」の興味を抱かれたそうだが、その後に九州での大規模な合同葬でも仕事を共にすることになった。
彼がベンチャーズのある日本公演で音響と照明を担当していた際、舞台上の器材に不具合が発生、ベンチャーズの表情の異変に気付いてモニタースピーカーの不具合であることが直ぐに分ったそうで、頭の中が真白になったそうである。
ベンチャーズのメンバーは自分たちが演奏する音声が客席に流れるスピーカーからしか入らないのに、何もなかったように演奏を続け、アンコールに対応して緞帳が降りたそうで、すぐに通訳の人にお願いして控え室に行って謝罪に言ったそうだが、ベンチャーズのリーダーが「あれは君が謝罪する必要はない。器材の故障だから器材が謝ればよい」と言われたそうで、その話を聞いてから怒りを表さないように努め、「貸し」を残すようになり、CTで造影剤が漏れて医療ミスの被害に遭った時も、「どうしたら早く治るかだけを考えて」と言って事務長さんから「宗教者の方ですか?」と勘違いをされた出来事もある。
今日は妻の友人からコロナ対策となるツールやマスクをいただいた。誰かに私が「独り言」を発信していることを聞かれたみたいで、添えられていたメッセージには「2人で出掛けられて良いですネェ!!」とあった。
手を合わせて「有り難うございます」と書いておこう。
今日の写真は三朝温泉に行った際、倉吉駅で撮影した「特急スーパーはくと」を。