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2024-04-14

会いたかったけど  NО 10132

私は病的な高所恐怖症である。知己折に映画を見に行く阿倍野のアポロビルからルシアスビルにつながる「渡り廊下」もお避け、地下からエレベーターを利用している。

プロジェクトXでスカイツリーを採り上げていたが、延べで58万人の人達がかかわっていたことを知って感動したし、634メートルに取り組まれた「鳶職」の人達に拍手を贈りたくなった。

私は「明石海峡大橋」をバスで通ると時にも恐怖に怯えているし、岡山駅から高松や松山へ行く時に通る「瀬戸大橋」も敬遠したい。

瀬戸大橋を走行する列車の中から島の上を通っているとホッとするが、海の上になるとゾッとする。

30代の時に上京した際、池袋のサンシャインに宿泊したことがあったが、強風の日で部屋の天井の照明器具が揺れていて恐ろしかったし、湯船に入ったら湯が揺れていたので落ち着かなく、一睡も出来なかった。

あべのハルカスのマリオットホテルに宿泊したことがあるが、49階の部屋でレストランの予約を入れたら57階でエレベーターの扉が開いても乗ることが出来ず、部屋に戻って考えたのが19階のフロントまで行ってスタッフに同行して貰うことで、レストランに行ったら、窓側のお席を準備いたしております」と言われたので間髪を入れずに「壁側の席に」とお願いした。

次の日の朝食は19階だったが、淡路島」や明石海峡大橋も見えていた。睡眠導入剤を忘れてしまい一睡もせずに帰って来たが、二度と宿泊することはないだろう。

高層のホテルは苦手である。部屋の窓ガラスが低いのも苦手で、すぐにカーテンを閉めることにしているが、いよいよ病的な傾向が強くなり、飛行機も乗れなくなってしまった。

バナナマンがCMに出ている「アゴダ」だが、オーストラリアに行った際にお願いした旅行会社がキャンベラのホテルとキャンベラからシドニーの列車の予約を「アゴダ」を利用しており、プリントアウトされた書面を携行して利用したことを憶えている。

パースからキャンベラへ飛んだのは夜行便で、深夜にキャンベラに到着する便で、タクシーでホテルに到着したのは午前0時過ぎだったが、アゴダの予約確認書類を出してチェックインをしたことを憶えており、内心「大丈夫かなあ?」と心配していた。。

私は記憶力が優れているみたいで、振り返ると様々な思い出がある。田舎から大阪へやって来て小学校3年生で転入したのが加賀谷小学校で、2学期から東粉浜小学校へ転入した。教室に入ると掛けけ算の九九の貼り紙があり、皆暗記をしているようだったが、私は初めて知ったレベルで、下校するまでに暗記した。

数日後、講堂で行われたイベントがあり、「国歌斉唱」があったが、私ははそれも初めてで、1か月月ほどで憶えた。

4年生の時に連れて行って貰って観た「渚にて」の主題曲「ワルチングマチルダ」も映画館を出るまでに旋律をしっかりと憶えたし、西部開拓史で流れた「グリーン・スリーブス」も」帰宅したらーモニカで吹けた。

私はギターとハモンドオルガンに挑戦した歴史があるが、転調が好きで、DmからEmへ転調すなどが大好きで、熊本県荒尾市の市民ホールで行われた合同社葬野の弔辞のお一人が、信じられないほど長く、転調だけでは対応できなくなり、浮かんできた旋律をベースにして演奏したが、その曲が葬儀音楽CD「慈曲」の10曲目に入っている「逝かfし人へで、「双子の姉妹として知られた「金さん銀さん」の葬儀の際に出棺の時に流れていたのをニュース映像で聞いて驚いた。ことを憶えている。

アメリカでゴルフのマスターズが行われている。私のゴルフの師匠が熊本駅近くに在住されているが、大阪におられた頃には喫茶レストランをされており、メジャーな中継を早朝からご覧になり、モーニングで来店したお客さんに開設されていたことを憶えている。

ご夫婦は大甲賀のメンバーで何度もコースへ行ったし、私のホームコースへ案内したこともあった。その時から教えて貰っていた携帯電話の番号だが、2月の末に掛けたら奥さんが出られてびっくり。彼女は入院されているそうで長くないみたいなことを言われて衝撃を受けたが、「お父さんが自宅で寂しく過ごしているから」と言って自宅の番号を教えてくれたので掛け、妻が12月に亡くなったこと伝えたら、奥さんも深刻なことを教えてくれ「寂しい」と嘆き悲しんでおられた。


奥さんは3月に亡くなられたが、もう一度会いたかったと涙が出る。故郷の熊本へ帰られる前にそれぞれの夫婦4人で伊勢神宮へ参拝し、とっばのシーサイドホテルへ宿泊したが、大浴場の中で彼から奥さんの誕生日だということ知って売店からフロントに掛けて貰ってシャンパンをお願いしたが、「ワインならご用意できます」と言われて仕方がないと食事処っ行ったら、「シャンパンのご用意が出来ました」と言われたので、ワインをキャンセルしたのに。支払ってきた明細を確認するとワインの料金も支払っており、妻が電話でクレームを伝えたら現金書留で送って来たが、sy材の手紙もなく、硬貨をセロテープで張り付ける横着な状態だった。

その年に九州の友人夫妻や妻の友人を誘って2回行ったが、フロントで何か謝罪の言葉でもと考えたが、残念ながら何お言葉もなかった。

そのホテル、初孫が京都に来た時に連れて行ったが、それが4回目だったが、未だに言葉はない。

久世栄三郎の独り言(携帯版)
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