2003-10-26
ご隠居の言葉から NO 586
阪神高速道路の松原線が全面工事、この29日早朝まで通行出来なくなっている。
その影響で近くを通る国道25号線や幹線道路が大渋滞。スタッフたちがぼやいているように様々な影響を受けている。
高速道路が存在しているという既成事実しか経験していない年代の人は、通行止めとなると、目的地までの道が分からないという不便が発生する。
「カーナビがあるじゃないか」と言えばそれまでだが、積載されていない車がまだまだ多く、日頃に道路地図を開いて勉強しておく必要もある。
随分前だが、空港線が通行止めになった時、大阪空港までの道を教えた人が多くあった。
便利な世の中になり、その既成事実の中で生活をしていると、そんなマンネリの中に変化が発生すると大事件。それらは予期せぬ悲劇を生むこともあるだろう。
さて、先日、大阪駅から「新快速」に乗ったが、その速度たるや恐ろしいほど。たまたま速度計が見えるところにいたので確認出来たが、なんと「130キロ」。
JRの情報によれば、全国の在来線の特急列車も130キロ運転が実施され、琵琶湖の西側を走る湖西線では、優れた線路状況から140キロ運転も行われているとのこと。
これらは、スプリングの改良やコンピューター制御という科学の発展で至ったものだろうが、ひとつ間違えば大惨事につながること。果たして、ここまでスピードアップが必要なのだろうかと疑問が残る。
新幹線の「のぞみ」にしても、西へ向かう「500系」の最高速度は300キロ。確かに到着時間が早くなるが、振動が原因なのか異常な疲れが気にかかる。
こんな素晴らしい技術は絶賛されるレベルのものだが、運行管理の総括は「人」であり、何かが起きればコンピューターに責任を負わすことは出来ないもの。交 通機関の仕事の方は、マンネリの恐ろしさの自覚を忘れないで欲しいと願っているが、バスの酔っ払い運転もあったのだから恐ろしい。
私の知人に、鉄道の技術者であった人がいる。もういいお歳のご隠居さんだが、この方が、ふと言われた言葉が印象に残っている。
「広軌は、270キロ。狭軌は120キロが限界。それ以上も技術で可能だが、『もしも』という謙虚な姿勢が大切だ。限界を超えることは『神』への挑戦でもあるかな?」
スピードという技術の競争も大切だろうが、そこに伴う「安全」の競争も忘れないで欲しいもの。
人間は「神」ではなく、愚かな過ちを繰り返す「人」なのである。
昨日のニュースで、高速道路のトンネル情報に、落雷を原因とする誤作動が発生しているとのこと。電光掲示板に「トンネル内 火災発生」となって通行止め情報が流れるそう。それで何時間も通行止めとなったケースが全国で確認されている。
考えてみれば「雷」という自然も、ひょっとして「神」かも知れない。「かみなり」と読んでいるのは、先人の知恵のような気がする。