2023-09-22
三丁目の夕日夕日 NO 10027
リハビリに行こうと疎開道路で待っていたら、いつものワンボックスカーではなく軽自動車がやって来て、中から「私が来ました」と声を掛けてくれた。リハビリの女性の先生で私を助手席に乗せるともう一人の患者仲間を迎えに行った。
いつも奥様が連れ添っておられ、帰られる時も車が停車する場所へ来られている。こんな素晴らしいご夫婦は羨ましいぐらいで、介護の日の「募集川柳」を読みながら考えさせられた。
今日のリハビリは疲れた。大きなバランスボールを前に置き、椅子からお辞儀をして少し立ち上がり、そのまま座るという単純な運動だが、腰と脹脛に付加される影響は強いもので、現在の自分の状態を改めて知ることになった。
それから様々な器具を使った運動もしたが、始める前に計測するが降圧剤が変わったからみたいで、血圧がかなり高くなっていた。
昨日、いつもの医院の前で知人と会ったら、入院していて手術を受けて来たと言っていたが、私と同年代で昔から交友関係にあるので「互いに大事にしよう」と挨拶を交わした。
今日のニュースの中に気になる問題があった。JRが新幹線と在来線の乗り継ぎ特急料金を来年から廃止するそうで、新大阪駅に行くのに特急料金が半額だったので利用していた「はるか」の利用も高くなってしまう。
「くろしお」は自由席がなくなってしまったので利用していないが、はるかは運転されてからすぐに利用しており、便利なことがまた不便になることを知った。過日に「はるか」を利用した時は10分遅れで疲れてキャリーバッグに座ろうとしたら後方へ倒れてしまい、背の高い外国人の方に助けていただいたが、あれが乗り納めになってしまったようである。
久宝寺へつながる東線の開通も便利になったが、快速が少ないことと遠回りになるので時間が掛かるし、過去に「さくら」に乗り遅れてしまったこともあって後悔したことも忘れられない。
久宝寺駅で大和路線に乗り換えるが、快速に遭遇するパーセンテージは低く、普通列車で天王寺駅へ戻り、タクシーに乗って帰宅することになってしまう。
昨日の雷は本当に怖かった。稲光がしてすぐにゴロゴロと鳴るのだからかなり近かったみたいだが、タクシー乗り場で10分ほど待たされている時は本当に恐怖感を憶えた。
天王寺駅から西の方は真っ暗で通天閣が見えるが、そこに稲光が走ると恐ろしいし、今日の夕方のニュースに通天閣のリニューアルで点灯式が行われると放送していたが、現在の通天閣が建設されたのは私が小学生の頃で、何度か家族で新世界へやって来たことを憶えているが前の人の後姿を見るほど混雑していいた記憶があるし、通天閣の下にあった「いづも屋」というウナギ料理店に入って「まむし」を食べさせられたこともあったが、その意味が怖くて食べなかったことも懐かしい。
新世界には「づぼらや」という店舗もあったが、もう廃業されてしまったみたいで寂しいが、大きなふぐ提灯がぶら下がっていたことを憶えているし、天丼を食べたことも憶えている。
当時はまさに三丁目の夕日の時代で、「リンタク」という三輪タクシーが走っていたことも記憶があり、林寺新家町から源ケ橋、寺田町駅を通って桜川二丁目から福島西通りまで行く市電が走っていた記憶もある。
市電の東の先は「百済」で、すぐ近くを関西線が走っていたがまだSL時代で、高架ではなかったことを憶えている。
市電は四天王寺西門から一心寺の前を西に下って恵美須町へつながっていたが、5年間住吉区の学校へ通学していたことがあり、市バスや市電もよく乗ったし、現在の環状線は「省線」と呼ばれていて大阪駅まで小人なら5円だったことを憶えている。
市バス、市電は10円で、阿部野橋まで行き、ハルカスの横から走っている現在の阪堺線を利用したが、当時は上町線と呼ばれ、住吉公園駅まで行っていた。
平野へ行く系統もあったしい、阿倍野斎場交差点から文の里を通って平野の方へ行っていたが、阿倍野斎場交差点では恵美須町駅からやって来る電車と交差していたような記憶がある。