2004-03-02

愛 人    NO 718

美しく齢を重ねられた高齢女性の方から「いつまでも恋をしなさいよ」と言われた。

帰宅して新聞を読んだら「高齢」にかけて「好齢」と書いた広告コピーが目に留まり、<なるほど>と思ってしまった。

 私には、愛人がいっぱい存在している。それは、男性女性を問わず、全国各地にいる。

 「大切にしてあげたい」と思う心情が「愛」の原点。社員や日本トータライフ協会に属するメンバー達全員が愛人なのである。

 <あの人に憧れが> それは、恋の始まりかも知れないが、そこから愛人になるまでのプロセスが人生の楽しさみたい。

 そんなところからすると、過日に会った函館の女性も恋人であり愛人でもあるということになる。

 私と同様に、彼女の発信する文章に憧れを抱くメンバーが大勢おり、その全員が恋人と呼べるだろう。

 自身を慕ってくれる人すべてが恋人や愛人と考えれば、こんな幸せなことはなく、きっと世界が平和になる筈だが、人間には独占欲と嫉妬心が存在し、それは死ぬまで治らない性のような気がする。

 この「独り言」の発信を始めたことで愛人が増えた。それらは手紙やメールの世界で広がったのだが、それを「メル友」と呼ぶことを最近に知った。

 これまでの長い葬儀の経験で、日陰から愛する人を見送られたケースを何度も見てきたが、それらは想像以上にドラマティックなもの。

単純な私は、いつの間にか「同情」というサービス精神で巻き込まれ、陰から見送られるお手伝いを何度かしてしまって反省している。

しかし、後悔はしていない。なぜなら、いつも<故人にとっては?>という立場でシナリオを構成し、故人からは無言の「有り難う」を頂戴してきたから。

 ある方の満中陰がお寺で行われており、そのお手伝いを弊社スタッフが担当していた。

 その同じ時間に、私は、別の場所でその方の葬儀を行うという不思議な体験もしている。
その葬儀、参列者は、たった一人。そう、喪主をつとめられたのは故人の愛人であられた。

 無宗教形式をご要望され、私が司式をつとめることになったが、敢えて「超宗教」形式でシナリオを描き、故人の宗教で重視される「お経」を愛人さんと一緒に読経する時間も設定した。

 彼女は、涙を流され一生懸命に読経をされたが、終わってから「会」でなく「式」だったと喜ばれ、伴っていた女性スタッフも涙声で「いい葬儀でしたね」と共感し、その表情には幸せ感と達成感が滲み出ていた。

 <悪いことをしているのに?>とは思ったが、花いっぱいの祭壇に飾られたご遺影から、確かに「有り難う」というお声が伝わってきた。
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