2018-01-12

あの日のこと  NO 8086

金子みすゞ記念館昨日、火曜サスペンスの再放送を観たが、真野あずささんと橋爪功さんのコンビで事件を追う内容だったが、アリバイに関して対象になったひとつが「特急 北斗」で、私が初めて「北斗」を利用した時の車両で、懐かしく思い出していた。

これは過去にも書いたので重複するが、2月の札幌雪祭りで飛行機を予約していたのだが、出発当日はどうしても午後の葬儀を担当しなければならず、妻だけ先に行かせて私の分はキャンセルした。

仕事を終えて伊丹空港に行ったが、千歳行きの便は日本航空、全日空共満席。キャンセル待ちを期待しても無理ということで仕方なく諦めていたら、函館行の便が一席だけ空席が出たことを知り、すぐに抑えて貰って搭乗した。

函館空港からタクシーで函館駅に移動。そこで利用したのが前述の「特急 北斗」で、当時は4時間前後の所要時間から札幌駅に到着したのは午後10時を過ぎており、タクシーでホテルへ行って事情を伝えたら妻が驚いていた。

新潟県の信越線で列車が立ち往生して乗客が車内で一夜を過ごす報道もあったし、北陸道で一時的に400台の車が立ち往生というニュースもあった。

友人の多い北海道も大変なようで、函館で記録的な積雪という記事が目に留まり、昨秋に訪れた函館市立博物館郷土資料館(金森洋物館)の前を通る市電の情景を思い浮かべながら館長さんやスタッフも皆さんの通勤の大変さを想像していた。

昨夜の冷え込みは厳しく、朝に確認すると玄関の防火バケツの水が凍っていた。

ここからは「幸せ列車」の「10年前の独り言」から転載を

長門の国には・・  NO 2089   2008-01-10

昨夜、この独り言を打ち込んでいる時、予想外のことが起き驚いた。右足親指の付け根部分に突然激痛が走り、それを5分ほどの間に6回ほど感じた。

瞬間に思ったのが<痛風!?>ということだったが、血液検査の結果によって随分昔から薬の服用で予防しており、これまでに「痛風」の痛みを一回も体験したことがなく、それが何の兆候かは全く判断出来なかった。

こんな場合にはいつものお医者さんに飛び込むのが何より。そこで午前中の空いている時間帯に診察を受けた。

診察室の椅子に座っている私。先生は床に胡坐座りで素足になった右足を診てくださる。私が訴えた痛みの体験話からすると「通風みたいだけど、見た目や触った感じでは何ともないよ」という診断結果。恐らく何かの原因で神経が過敏に反応したのだろうとなり、しばらく様子を見ることになった。

診察室を出て待合フロントへ。そこには奥様が受付担当スタッフの人と並んで座っておられたが、「お大事に。今日は、無料です」と仰り、「お正月サービスを有り難う」と申し上げて帰宅した。

それから現在まで痛みの再発は一回もないが、明日は他府県に出掛けるのでちょっと心配をしている。

さて、これまでにこのコラムで何度も登場した詩人の「金子みすゞ」さんだが、彼女の故郷である山口県には、江戸時代の1801年誕生の於軽(お軽)という 素晴らしい女性の存在があり、「金子みすゞ」さんの記念館に行く際には、出来たらその「ゆかり」の地にも立ち寄ってみたいと考えている。

下関から船で20分ほどの六連島(むつれじま)という小さな島だが、イギリス人が当時に設計した灯台が有名で、それを明治5年に明治天皇が九州行幸の際にお立ち寄りになったという歴史あるところなのだが、船の便数が少ないので難しそうである。

200人程度の島民だそうだが、溶岩台地のこの島に住んだ彼女は、結婚した夫から受けた辛い思いを歌に読み、それらはやがて御仏に帰依してますます意義深く感じる歌として昇華を遂げ、ついには夫の心を揺り動かし、2人で厚い信仰の道を進み、浄土真宗の「三同行の一人」として歴史に高く評価をされている女性 である。

「重荷背負うて山坂すれど 御恩思えば苦にならず」のような歌から、傷付いた自身の心を仏道に傾倒することによって変化していった味わい深い歌には、誰もが心を惹かれるものがあるだろう。

そんな彼女は56歳で往生を迎えられたが、その3ヶ月ほど前に詠まれた歌が次のもので、『亡き後に 軽をたずぬる人あらば 弥陀の浄土に 行たと答えよ』だった、

因みに、三同行の中の他のお2人は、「大和の清九郎」さんと「加賀のお千代」さんで、それらのネット検索も興味ある世界である。

今日の写真は「金子みすゞ」記念館の玄関を撮影した1枚を。
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