2002-04-26

「ごまめの歯軋り」 「石亀の地団駄」

わが国は、言論の自由という文化国家であり、許される範囲内で問題提議をすれば、「ごまめの歯軋り」「石亀の地団駄」ということになるだろう。

ある会合で、大手広告代理店の役員さんと話す機会があった。

大企業との結び付きの中で、社葬のプロデュースに関係することが多くなっているそうだが、会場がホテルというケースが増え、これまでのような総合的な売り上げが大幅にダウンしていると嘆いておられた。
 
彼らは社葬をイベントと捉え、我々が想像出来ないような予算でのプロデュースを進めることが多く、宗教に基く形式の場合には、スタッフの一員として葬儀社が手伝うことも多いが、業者達の世界での評判がよくないことは周知の事実。
 
ある社葬で、宗教者の逆鱗に触れる事件があった。

彼 らの作成したシナリオには宗教者が完全に「一出演者」にされてしまっており、何時何分「集合」、何時何分「着替え」、何時何分「入場」、何時何分「読経」 から退出まで、分刻みで決められており、こんな姿勢での葬儀の「導師はつとめられない」「責任者を呼んできなさい」という事件が起きたそうだ。
 
間を取り持ったのは葬儀社だが、もちろん、葬儀社はこんな事件になることは予測していた。
 
あ る有名なコーヒー会社の社葬で、祭壇の一部に大きなコーヒーカップが存在し、その前で宗教者が読経する光景があり、参列者が焼香の変わりに「コーヒー豆」 を奉献するという演出があった。これは完全なテレビコマーシャルの世界であり、社葬という場で行なうことではないと考えている。
 
故人が一般の方で、コーヒーをこよなく愛しておられたという設定ならまだしも、コーヒー会社の社葬にこれはないだろうという思いで、読経をつとめられた宗教者の方々の複雑な思いを拝察する。
 
冒頭の役員さんとの話の中心は、社葬告知の黒枠広告についてであり、今後、急速に少なくなっていくという私の予測に、興味深そうにその理由を訊かれた。
 
ホテルでの社葬が多くなることは確実で、不特定多数にご案内するというケースが少なくなり、招待形式が主流となれば新聞告知は不必要。それが私の答えだった。

「それは由々しき問題だ。そんなことになれば、大幅に影響を受ける。何とか対策を講じなければ」とおっしゃられても、これは社会の流れ、もうどうにも変えられない構図となってしまっている。

ブライダルも葬儀も、21世紀のキーワードは「無駄省き」。社葬の参列者の7割が義理的会葬者と分析されている中、招待形式が必然として潮流となり、ホテルが会場に選ばれていく訳である。

「招待」という言葉。それは、葬祭式場には似合わないということもキーワードである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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