2002-04-13

悪い慣習・・良い慣習

協会メンバーの葬儀社から懇願され、新幹線から在来線の特急に乗り換え、4時間半を掛け、ある地方の葬儀の司会に行った。
 
開式の2時間前に到着し、担当される葬儀社の社長と打ち合わせを行なったが、葬儀の
式次第というものが、各地それぞれの独特な慣習があることは知っていたが、そこでは、
珍しく、葬儀式が終了し、ご導師が退出されてから弔電の代読をする次第になっていた。

ところが、そこには、とんでもない慣習があった。なんと、到着している弔電のすべての芳名を読み上げなければならず、奉読しなかった弔電をご仏前に奉呈することは出来ないと言うのである。
 
到着している弔電の数は180通、気の遠くなるような話である。
 
プロとして「そんな愚かなことは絶対にしない。最高に譲ったとしても、電文5通、芳名20通までが限度」と、社長と交渉してみたが、「この地域はそれでなければいけないのです。どうか、御願いします」と言うばかり。
 
 私はプロの信念として、弔電の代読というものに強い抵抗感を抱いている。

埒の明かない議論よりもと行動を起こし、ご遺族のお考えをと喪主様にご相談をした答えは、「私達も会葬に行った時、長々と弔電代読を聞かされるのは苦痛ですが、この町ではそうしなければならないのです。そうしなければ後日に攻撃されるのです」
 
物騒な話ではないか、悲しみの葬儀が終わってから、ご遺族を攻撃するとは何と恐ろしい地域ではないか。
 
私 は、それ以上に進言することを止めることにした。決して「長いものには巻かれろ」という考えではなく、プロの哲学と司会トークによって見事に解決出来る程 度の問題だが、大切な葬儀という式場で、喪主様やご家族の皆様に、余計なことでプレッシャーを掛けるべきではないとの判断をしたのである。
 
やがて、その時間がやって来た。10通目の代読をしながら参列者の表情を垣間見ると、「いい加減にしてくれ」との心情が伝わってくる。中には「なんという司会者だ」と怒りを抱いておられる方もいる筈だ。「耐えることもプロ」、そんな気持ちで180通をすべて読んだ。
 
ここで、ちょっとプロの独り言・・・
<弔 電の内容を一切確認せずに代読しなければならないこともある。それは、重要な方からの弔電が式の最中に配達されることがあるからで、喪主様のお席に伺うこ とが出来ないというケースだ。一流と呼ばれる司会者になると、「目追い」というテクニックを持ち、言葉よりも20文字ぐらい先に目が進んでいるという秘技 である。この目追いが多ければ多いほど余裕が生まれ、不明な文字の登場となれば誤魔化しテクニックを用い、通過する訳である・・・内緒話です>

 さて、悪習である弔電の代読が済んだ。続いては喪主様の謝辞である。全国的に行われている葬儀では、焼香が済むと大半の方が帰って行かれるが、この地域は大半が喪主様の挨拶までは参列されている。これは大変良い慣習である。
 
しかし、この後に、もっと素晴らしい慣習が行われていた。ご出棺の後、ご供花を皆さんがお持ち帰りになられるのである。

「こんな良い供養はないんじゃよ」そんなお言葉が交わされている。

大阪では、開店花はすぐに持ち帰られるが、葬儀のご供花は、頼んでも絶対にお持ち帰りにならない。「縁起でもない」、それが答えである。
 大切な「えにし」に結ばれた方の葬儀への参列。そこに供えられた美しい花。どこが、縁起が悪いのですか。つい、そう言ってしまいそうである。

葬儀は「人」を集め、「人」を走らせる。という言葉があるが、全国各地からご親戚や会葬者が集われ、各地の風習を持って来られるから大変だ

今日も、何処かの葬儀で、風習の異なりによっての「もめごと」が発生しているだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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