2002-09-04

選挙に思う   NO 185

注目されていた長野県の選挙知事が終わった。マスメディアが予測していた通りの結果で、田中氏が当選となった。

 私は、国政選挙から地方選挙に至るまで、選挙のニュースで放映される光景に大嫌いなものがある。

 それは、バンザイとダルマの目に墨を入れることである。

 全国で問題になっている議員の姿が重なり、万歳の光景が、本人や周囲方々が「やったぁ、これで金儲けが出来るぞ」と叫んでいるように見えて仕方がなく、私は、僻みっぽい性格なのかなと思っている。

 ダルマの墨入れに関しては、いかにも日本人的で低次元なパフォーマンスだと思っている。目が二つあるダルマ。選挙戦スタート時に片方に墨を入れ、当選時に両目が完成となる訳だが、落選した時にダルマが独眼のままで「可哀想」だと思わないのだろうか。

 私なら、選挙戦スタート時には「白のまま」。当選時に片方だけに墨を入れ、公約の仕事が完成と認められた時に両目と行きたいところだ。

 テレビで解説者が次のように言っていた。

 1に「自分の利益」 2に「おらが国さの利益」 3に「所属党の利益」
 いくら代議員としても、そんな議員達が多く存在すれば国家は滅びる。国全体と国民の将来利益を追求する議員が増えればと願っているが、応援する側に「自分の利益追求」があれば絶対に無理なこと。
 そんな本質は、10年や20年では変わらないだろう。

 えらく淋しい話ではないか。しかし、なんだか納得してしまう自分にも腹立たしく情けないとも思っている。

 もう10数年が経っただろうか、ある時、著名な国会議員が、突然、地元の有力者を伴って自宅へやって来られたことがあった。目的は市会議員の欠員選挙への立候補要請。
 午後の5時から10時まで、5時間の説得を受けたが、私の信念として頑なにお断りを申し上げた。

 自分のことは自分が一番よく知っているもの。私には葬儀屋が天職であり、悲しみという不幸な人達を少しでも不幸でないようにして差し上げる仕事が好きで、誰よりも誇りを持っている。

 これまでの人生で学んだアナウンストーク技術、道楽で身に付いた音楽に関するノウハウなど、それらは葬儀の変革の時代にあって大いに力を発揮することになっている。

  素晴らしい候補者だと思えば応援演説ぐらいは受けるだろうし、私が演説をすれば会場に来られている方々の中で、10人ぐらいの票の獲得効果はあると自負し ているが、これまで何度か応援演説の依頼があったが、そのすべをお断りした。その原因は、応援したくない候補者であったからだ。

 葬儀に 於ける議員や秘書の参列。そこに生まれる焼香順位。私は肩書きによる順位決定は大嫌いで、故人につながりがあれば許せるが、そうでなければ故人に申し訳な いと考えている。そんな式場で「無理強い」をされる議員には徹底的に戦う。それは、葬儀のプロである私のプロたる所以なのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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