2002-03-28

ホテル葬サービスの「致命的な欠陥」  前 編

この「独り言」のコーナーで、3月14日分「情報 社葬・・急変時代」に前述したホテルの仏事サービスの欠陥について、ご批判を覚悟の上でしたためさせていただくが、
今後にますます多くなる「偲ぶ会」「お別れ会」「社葬」など、ホテルに於ける葬送サービス提供に際して、少しでも意識改革につながれば幸いと考えている。
 
ホテルの語源はラテン語の「ホスピターレ」。徒歩やラクダに頼るしか方法がなかった遠い昔に遡れば、「一生に一度は」と、宗教聖地であるメッカに向けての道中に身を休める場所のこと。現在のホスピタル(病院)やホスピスの言葉にもつながっている。
 
一方で現在のホテルは、ありとあらゆるサービスを提供するプロ達が存在し、グレードの高い「人」のサービスと「環境空間」の提供を誇りとされている。
 
そこでクオリティが評価されるのは「ホスピタリティ」精神だが、最もホスピタリティを必要とされるのは「お悲しみ」のお客様。その方々に対応出来る「プロ」の存在がないことは、ホテルサービスの大きな欠陥であると言えないだろうか。
 
終戦後、数年の時の流れにブライダルの「式」と「宴」がホテルで行なわれることになったが、それまでの結婚式は、神社、料亭内に設けられた神殿などで執り行われ、隣接する宴会場で披露宴が行なわれていた。
 
その当時、ホテル業界は「披露宴のみ」にターゲットを絞っていたが、新郎新婦、出席者達の「移動」に生まれる抵抗感に応え、やがてホテル内での神殿誕生を迎えることになり、着付け、貸衣装、写真撮影、司会などの総合サービスに至ったのである。

多くのホテル関係者が、「ホテルに於ける仏事ビジネスは、ブライダルの歴史を辿っている」と発言されているが、私は「似ているが<異>なこと」と確信している。
 
確かに、<法事は「ご自宅かお寺」で、御斎の「お食事だけをホテル」で>の部分では似通っており、法要に関してはお客様のご要望から、稀に「お寺様」を迎えられることもある。

し かし、その対応たるや失礼の極みで、焼香禁止、お経は短く、法話はご遠慮との姿勢が強く、中にはスタッフ専用通路に椅子がポツンと置かれ、そこで着替えを 要請されたと怒りを顕わにしておられたご住職もおられるように、ホテル業界の本音、それは、宗教者を絶対的に歓迎していない姿勢があり、その背景には、宗 教者に対応可能なプロの存在がないという事実と共に、ご遺族の「お悲しみ」の理解をされていないことがある筈だ。 

社葬にあっても同様で、大半のホテルが宗教者を歓迎されず、無宗教形式を奨励されているが、ここに大きな落とし穴が存在していることに気付く人は少ないようだ。
 
 今後、招待形式が主流となるであろうホテル社葬。「お別れ会」「偲ぶ会」と言葉表現が変わっても、故人との「思い出」を「形見」としてお持ち帰りいただくという、ホスピタリティ理念だけは忘れたくないものだ。

 儀式を割愛されても「礼節」は絶対不可欠。それはサービスというレベルのものではない。その言葉は儀式性の空間が完成して初めて使える言葉。この部分に現在のホテルサービスの欠陥が凝縮しているように思える。

 莫大な費用を要されて行なわれたホテル社葬。それを施主として主催された企業が、多くの参列者に嘲笑されている実態をご存じないホテル。一流ブランドに助けられている「原点を見失った」三流サービスが、近い将来に致命的な怒りのターゲットになるだろう。

    ・・・・明日に続きます
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