2002-12-24

昭和から平成に   NO 293

昨日は、国民の祝日「平成天皇のご誕生日」。各家に日の丸の旗を掲げられる光景が少なくなっているようだ。

 ご誕生日に、不謹慎だが「昭和天皇の崩御」の時のことを思い出していた。

 国葬が行われた日、国民が黙祷を捧げなければならない時間に、ある方の葬儀を担当していた。

 この方は、自動車関係の会社の親父さんで、お通夜に500人ぐらいの弔問者が来られた。

 通夜を終えた後、葬儀委員長と相談をした。

当家の宗教も関係し、500人の会葬者を考慮すると1時間の葬儀では遅れることになる。少々の遅れは許されるべきだろうが、明日は特別な日で許されない事情がある。国葬のことを意識しなければならないと申し上げたのである。

 委員長は、「確かにそうだ。君に任せる」とご決断くださった。

 そこで、導師、遺族と親戚の方々にご了解を求め、10分前から開式することになった。

 さて、葬儀の当日。会葬者は予想以上で、600名に近い方々がやって来られたが、焼香台数の調整や、無駄な時間消費を一切省き、思っていた通りの時間にご出棺することになった。

 お孫さん達によってお柩がご自宅を出られる。霊柩車までの距離は、約50メートル。

 この時間に重要なコメントがあり、伝えなければならない。

 静かな音楽を流す。それらしきムードが生まれた。いつものナレーションを始める。そして、お柩が霊柩車にご安置された瞬間、この日に限られたコメントを発した。

 『本日は、昭和天皇の国葬の日でもあります。奇しくも、故人のご出棺のお時刻に、私達国民は黙祷を捧げることになっています。今、定められた時間の20秒前でございます。昭和天皇の崩御に対し、時報に併せて黙祷をお願い申し上げます』

 そこで、司会台の横に設置してあったラジオのボリュームをアップした。選局してあったのはNHK第一放送。「プップップッ」という誰もが耳にされた音が聞こえる。それをマイクで拾った。スピーカーから見事に流れる。

 そして、「プーン」。定められた時報が鳴った。マイクを口元に戻して「黙祷」と発声した。

  屋外での1分間の黙祷は危険で無理がある。私は20秒で「お直りください」と発したが、交通整理のお手伝いに来られていた数人の警察官の方が、全員で敬礼 されていたのが印象的で非常にカッコよかったと記憶しているが、導師が合掌のお姿でお念仏を唱えられているのも美しいお姿だった。

 

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