2003-12-13

幼い命・・・   NO 634

昨夜のテレビニュースで、名古屋の火災の幼い子供たち4人のことが報じられていた。

 4歳から1歳までの年子、4歳の子が死亡し、3人が重体という痛ましい悲報。孫の存在に思いを合わせ3人が助かるように願っていたが、今日の葬儀を担当して事務所に帰って夕刊を見ると、何と一人も助からなかったそうだ。

 ラジオのニュースを聞いたスタッフによると、みんな一酸化中毒が死因だそうで、火傷がなかったことだけが救いという悲劇。

 人の世は、1秒後に何が起きるか分からない。昨日もNHKテレビで、想定される南海地震についての特集放送があったが、今日の昼に香川県で震度4という地震があり、「IF」という心の備えの大切さを実感させられた。

 幼い子供の葬儀は辛いもの。聞くだけでも堪らないが、かわいい小さな柩が余計に涙を誘う。

 私に初めての子供が誕生し2ヶ月ぐらい経ったとき、銭湯に連れて行ったことがある。その時、近所の知り合いの長老が抱いて湯船に入れてくださり、次のように言われたことをはっきりと覚えている。

「いいか、子供は宝物じゃ。大切にせんといかんぞ。先天的なことは仕方がないが、怪我や病気は親の不注意だ。後悔をせんようにな」

 その言葉は、今では母親となった娘に何度も言い聞かせたが、名古屋の火災事故、周囲の方々の辛酸な思いを拝察すると筆舌に耐えない心情に襲われる。

 ニュース・ステーションでは、イラクの劣化ウラン問題が取り上げられ、その後遺症と推測される子供たちの身体異変を訴えていた。

 人に生まれ、齢を重ね、自身が歩んできた年代を進む幼い子供たちを見て、その笑顔に最高の幸せを感じるもの。他人を苦しめたり悲しめたりすることがどんな劣悪なことか誰もが知るが、人は、地位や役職を与えられると鬼になる動物。

 我が国に「鬼畜米英」という言葉が流行してから60年以上の経過があるが、庶民がそんな心情になる愚かな争いは、今も止むことがなく続いている。

 世界に多くの宗教の存在があるが、それらは、死者に対する儀礼行為と悲しみへの癒しとなる行為ばかり。即ち、「不幸な人を、少しでも不幸でないように」という修復ばかり。

 宗教の原点を発した教祖は、「不幸でないように」よりも、「不幸にならない」ために教義を説いた筈。

 それが、どこで過ちとなってしまったのだろうか。宗教が戦争という殺戮の悪循環の根源となっている。

 天上の神の国で、神たちが人間社会をゲーム感覚で眺めているという映画を昔に見た記憶があるが、今の時代に合わせたら、神の手にファミコンのレバーがある設定になるだろう。

 そんなファミコンの製造中止が決まったそう。これを機に、戦争も終わったらと思えてならない今日の日。世界中の子供たちの命に手を合わせる。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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