2003-11-02

「時」に追われて    NO 593

今月、講演の予定がいくつかあるが、その合間を縫って「隠れ家」に多くの訪問者を迎えることになっている。

 明日と明後日は、東海地区の葬儀社のスタッフさんたち。葬祭サービスの意識改革をテーマに4時間程度の研修を行うが、人生終焉の儀式に携わる仕事がどんなに重要な仕事であるかを学んでいただければと願っている。

  彼らは、社長の命でやって来る訳だが、こんなケースでは不安と緊張に包まれての来社。その緊張を解すことから始めるのだが、研修の内容を高度にすると緊張 が高まり、帰路の新幹線で未体験の疲れに襲われたということも多く、中には「二度と行きたくない」という方もおられるだろう。

 メモリアルサービス事業部にある私の隠れ家、狭くて雑然とした部屋だが、音響と映像システムが便利であり、「百聞は一見に如かず」という体感が可能になっている。

 数本のビデオ編集のナレーション録音が溜まっているが、現在、非常に困った状況にある。

 録音スタジオのような環境が整っていない部屋。そこでの録音をマイクの指向性で解決している訳だが、パトカーと救急車のサイレン以外は大丈夫なのに、今は選挙の真っ最中。選挙カーの往来で何度もNGとなってしまう。

 今日の新聞に、「子供が寝ている。やかましい」と選挙カーを蹴り、選挙法違反で逮捕された事件が報じられていたが、絶叫型のトークは隣国の国営放送のアナウンサーだけにして欲しいもの。

 言葉というものは、必ず心の焦りも出てしまう。ブライダルや葬儀の司会でも、時間が気に掛かるとニュアンスが自然に伝わるもの。司会者が腕時計を手にしているようではサービス業ではないだろう。

 ここで、ふと思い出したことがある。

 飛行機嫌いの私、札幌での講演に上野駅から「北斗星」に乗ったことがある。17時間も要し二度と乗らないと思っているが、車内で記念に買ったものがあった。

 それは、北斗星の車内販売でしか入手できない大きな「懐中時計」。それから講演の際には必需品となったが、名古屋のホテルで行われた講演で、演台の上に忘れてきてしまってから行方不明。あれだけは残念だったと今でも思う。

 スリーピースのチョッキのポケット、そこに入れてる懐中時計の鎖にオシャレを感じる。そう思っているのは私だけかも知れないが、映画で見る英国紳士は絵になっている。

 あれから懐中時計は買っておらず、腕時計を外して演台に置いているが、最近、目が不自由になって見辛い状況。講演会場の下見では、会場内の時計探しが必然となってきている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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