2003-09-27

生かされて   NO 559

名古屋でタクシーに乗りながら、北海道の地震のニュースを耳にした時、悲劇の実話を思い出した。

 それは、阪神大震災から2ヶ月ぐらい経った頃、講演で名古屋を訪れた際、タクシーの運転手さんから伺った悲しいお話。

 運転手さんが名古屋駅で乗せられたお客さん、礼服を着用され「ホテルへ」と言われたので「結婚式ですか?」と尋ねたところ、その人が急に泣き出され、「世の中、神も仏もない」と、この結婚式に秘められた出来事を話したそうだ。

 その結婚式は、阪神大震災の日に行われる予定だったそうで、新婦は神戸の方。

 前日に新婦だけ名古屋入りし、両親は当日に来られる予定だったという。

 その当日の未明に発生した未曾有の大地震、それは、神戸の両親と兄弟の命を瞬時に奪ってしまった。

 結婚式が延期されたのは言うまでもないが、大自然が引き起こす災害の裏側では、信じられないようなドラマが生まれているのも事実。

 親戚の葬儀に行っておられて難を逃れた人もいたし、神戸の親戚の葬儀で被害者となった人もあった。

  私は、幼い頃、母から台風で沈没した青函連絡船「洞爺丸」のことを聞いたことがある。知り合いの人が、たまたま洞爺丸に乗り遅れて助かったという話だが、 その人は、急げば間に合うようだったが、何か<遅れてもいい>という気持ちがあり、それは「虫の知らせ」みたいな感じもしたと語っていたそうだ。

 1秒の違いで死と生が入れ替わるのも世の事実。交通事故なんて、その典型のような気がするが、それを「運命」という言葉で片付けてしまうのには抵抗がある。

 私は、飛行機が大嫌い。それは、墜落の危険性があるからではない。もしもエンジントラブルでもあった時、<乗らなかったらよかった>という後悔が生まれるからである。

 北海道や沖縄、また、外国に行く場合は覚悟をして搭乗しているが、いつも着陸したら
<ラッキー>と、心の中で叫んでいる。

 地震で特急列車が脱線したというニュースもあり、今夏には、九州で特急「かもめ」が落石事故に遭遇した。列車派の私だが、列車もいつ惨事が発生するかも知れないという危険を孕んでいる。新幹線だったらとんでもない大事故となるだろう。

 そんなことを考えていると何も移動が出来なくなるが、分かっていることは「自然」に勝てないこと。自身の命終も「自然」に委ねている筈。

 人は、生きているのではなく、「生かされている」ことになる。

 発生するかも知れない大地震。どうかエネルギーを分散し、数回に分けてと神仏に祈る今日の私。何より北海道の地震が終息することを願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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