2002-08-15

御大師様     NO 166

一昨日から上京し、今、ホテルの部屋でこの原稿を打っている。

 世間は、お盆。日本中で大移動の中、IT社会の列車情報やホテル情報、また新幹線のシステムによる自動発券機は便利である。

 張られていたポスターに目が止まった。それは「四国霊場八十八ヶ所 空海と遍路文化展」で、恵比寿ガーデンの東京都写真美術館で10月1日から開催されるそうだ。
(問い合わせたところ、12月に名古屋。来年1月には福岡でも開催されるとのこと)

  さて、日本トータライフ協会の北海道支局を担当願っている室蘭市民斎場、苫小牧市民斎場が、今月初めからHP<http://www.memorial- gr.com/>を開設し、ほぼ毎日更新「めもりあるトピックス」というコラムに、8月9日から12日までの4日間、「四国八十八ヶ所巡り 珍道中」と題 して、社長が学生時代に体験した巡礼の旅をしたためていた。

 彼は真言宗の僧籍を持し、30歳という若さながら葬祭業に最も必要とされる哲学と信念を兼ね備え、メンバー達が特別な存在感を抱いている。

 私の友人にも多くの真言宗の僧侶がいるが、宗教の話題になるとどうしても弘法大師、四国、高野山ということになる。

 彼らから教えられたことで印象に残っていることがある。それは、四国八十八ヶ所巡りには東の方から時計回りで参詣する決まりがあるそうで、全行程を平均すると1500キロぐらいにもなるというから大変である。

 俳句の世界では「遍路」という言葉が春の季語にもなっており、金剛杖に菅笠といった昔ながらの巡礼姿は、菜の花畑を歩みゆく情景にぴったりと当て嵌まるが、上述の彼は、真夏に挑戦したというのだから驚きである。

 葬儀を担当する時、四国八十八ヶ所巡礼の証しとなる「朱印帳」や「掛け軸」をお出しになることも少なくないが、他宗のお寺様の中には、「宗旨が違う、片付けなさい」と言われる方もあり、ご遺族が残念な心情と疑問をぶつけて来られることも何度か体験した。

 その多くは、ご主人が定年退職をされ、ご夫婦で人生の黄昏を確かめ合うように四国を目指したことが多く、それらには「思い出」が山ほど込められた貴重で大切なもの。そんなところから「どうして?」ということになってしまうようだ。

 最近の特徴として、若い世代が少なくないということ。求めることが何かは解らないが、彼らの人生に大きな影響を与えることは確実で、殺伐とした社会の一つの現象であると言えるかも知れない。

 そうそう、真言宗の僧侶が教えてくださったことだが、白衣という巡礼の姿は「死出の旅路の装束」で、金剛杖が「卒塔婆」、菅笠が「柩の蓋」ということであり、遠い昔の巡礼は、水杯を交わしてから旅立ったそうだ。

 信仰の姿は尊く美しいもの。自身の存在を再確認した時、きっと他人や社会の存在も見える筈。自身を中心として考えることは淋しく悲しいこと。

巡礼に「ご接待」と「ご報謝」という言葉もあるが、自然の中に身を委ねる時に生まれ伝わるもの、それは、きっと「生かされている」悟りの境地だと信じたい。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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