2018-04-02

生かされて  NO 8160

指宿のたまて箱 車内自宅の湯船にバスクリンをいっぱい入れてひとときを過ごした。大病を患った後遺症で自身が障害者であることを実感するが、それだけ「生かされている」という思いを強く考え出せられる。

左半身の温覚と痛覚が麻痺している知覚障害とは不思議なもので、湯の中に入っても左半身が水風呂に感じるのだが、発病した頃に比較すると少し和らいで来ている。

注射の針を刺しても痛みを感じないので採血や点滴には便利だが、点滴の際は漏れても痛みを感じないという問題があるので右腕のみとされていた。

入浴時に湯と水の適温を確認するのは右手となるので、蛇口のレバーは左手で押す必要があるが、自分で入浴することも出来るし着替えも可能なので幸運であった。

リハビリ入院している時の建設の仕事に従事する友人に頼んでバリアフリー対策をして貰ったが、浴室内に手摺がなかったら絶対に無理だと思う。

フラフラ感は入浴すると強くなるので倒れないように構えることも重要で、何時も最悪の想定をしながら安全第一で気を付けている。

NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」を観ていたら鹿児島県の指宿温泉を放送していた。砂蒸し風呂には3回入ったことがあるが、2回は大病を患う前で健常の時だった。

後遺症の中に左足の膝から下が深刻な異変を感じるので困っている。想像を絶する冷えを感じるのに一部が痺れて熱く感じるからだ。言葉で表現することは難しいが、南極の氷の海に足を入れ。それを火であぶっているような感触で、夏でも櫓炬燵をセッティングして就寝しているが、現在は電気の敷毛布を重宝している。

ここからは「幸せ列車」の「10年前の独り言」を転載しよう。

眠れぬ夜に  NO 2166   2008-04-01

これまでの穏やかな春の装いが嘘のよう。「しみじみと人の命の春寒き」そんな俳句を思い浮かべながら、花冷えの中を西区のお通夜へ。

式場の前までタクシーというのも気が引けるので、少し離れたところで降り、200メートルほど歩いて山門まで行った。

少し遅い時間だったので、もう、受付には同業の人達はおらず、スタッフの方に案内されて階上の式場に入った。

中にご長男がおられ、ご遺影が10年ほど前に撮影されたものと伺い、多くの思い出を悲しみという重みとして背に感じながら手を合わせ、自身が厳選してきた「香」で焼香を。

如何にも厳粛という伝統的なご祭壇、息子さんからのお言葉に甘えて拝顔させていただき合掌も。

やがて別棟にセッティングされた「御斎」の会場へ案内され、多くの同業の人達と久し振りの再会をしたが、昨号で書いた「五人会」のメンバーのM氏が手招き、「ここ、栄ちゃんの席やで」と、僭越過ぎる銀屏風の前に着席することに。

ご準備された「お料理」を前にビールで「献杯」を捧げ、生前の思い出話のひとときとなったが、M氏の心底からの寂しさが感じられ、場が暗くならないような話題に周囲の方々が配慮下さっていた。

そんな中、M氏の隣席にいた同業者のF氏から「栄ちゃん、頼みがある」と言われた。先にM氏とも相談されていたようで、M氏からも「栄ちゃん、頼まれてやってや」とのお言葉が。

それは、F氏の高齢のお父様が壮絶な闘病生活を過ごされているそうで、総代をされているお寺で行う予定という葬儀で「司会を」とのことだった。

その先代さんとも古くから交流があった。そう言えば随分と前から火葬場でお会いしなかったなと思ったが、現在の病状を伺い、かなり前から厳しいご体調であることを知った。

F氏と私は同年代、彼は高校時代から「株式」の取引をやっていたという人物。当時にネット取引なんてなかったが、いつも経済新聞を持ち歩き、車内では株価の放送に耳を傾けていた姿を鮮明に憶えている。

一方で、隣席の人物も同年代。東成区の伝統ある葬儀社だが、若かりし頃から俳優の「田宮二郎」さんに似た容貌で、どこでも女性に注目を浴びていた光景が懐かしかった。

みんな、それぞれに齢を重ね、それぞれの人生の歴史も重ねてきた訳だが、故人のご逝去が、我々にこの日が訪れることを教えてくださったことも確か。互いの健康留意の話題で結んで失礼して来た。思い出を形見に・・惜しまれてならない73歳のご逝去に合掌を。

今日の写真は「特急 指宿のたまて箱」の車内を。
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