2018-02-08

後悔していること  NO 8113

北陸新幹線小学校の6年生の同級生に男女二人の書道の文字が忘れられない。ずっと書道教室へ通っていたそうで、触発されたところから私も6年生の夏頃から書道教室へ通った。

国道25号線の源ヶ橋交差点を南へ行った所だったが、不思議な縁があって先生とはこの仕事に就いてから「ヘラブナ釣り」の「釣好会」で何度もご一緒することになった。

先生がご高齢でご逝去された際には葬儀を担当していたが、その数年後のその教室の真向かいのお家から葬儀を依頼があって参上するとびっくりする人物と再会することになった。

ご親戚の方々が集まっておられた応接室に入ると同時に私の名前が呼ばれ、「やっぱりだ!」と仰った方は中学2年生の時の担任の先生だった。

その後に先生のご親戚の方々の葬儀を何度か担当することになったが、忘れられない葬儀は生駒山の麓で担当したものだった。

奥さんがご逝去された葬儀だったが、喪主を務められるご主人が入院中で葬儀当日だけ参列されることになり。病院の救急車で来られたお姿を憶えている。

それから数年後に先生も亡くなられ、城東区にあるご自宅での葬儀を担当したが、その時のご遺影のお姿は今でもはっきりと記憶している。

数年書道教室へ通ったが、さっぱり上達することはなく中学生の頃に行かなくなったが、この年齢になって悪筆の現実に続けておればと後悔している。

恋流のある人達から達筆な墨書きの手紙をいただくと返信が難しいので恐縮する。この独り言で何度も写真を拝借している広島のピピの社長の手紙や葉書にはびっくりする。美しい文字に可愛い独特の絵が描かれているからで、私も妻も彼女の芸術的な郵便物を大切に保管している。

季節的に下さる葉書で印象に残っているのは「くいだおれ」の女将さんからの物と、オムライスで有名な北極星の社長からのものだった。

社長とは何度かゴルフをご一緒したが、ハンディキャップがシングルになったら記念パーティーをするからその時は司会をと頼まれていたが、鳴尾ゴルフ倶楽部でご一緒した時は可能性があると思っていたが、残念ながら今でもその世界に到達されていないようだ。

随分昔の号で紹介したことがあるが、同じライオンズクラブで交流のあった人物から届いた封書を開けて感銘を受けた。

その手紙が届いたのは1月の7日頃だった。中には私宛の年賀状が入っており、住所の間違いで戻って来たそうで、「新春に賀状帰るの寂しさよ」という俳句が達筆な墨書きで添えられていた。

文字が普通でないところから交友のあったメンバーに聞いたら、その人物が署の世界で知られる人物だと知って驚いたことを憶えている。

ライオンズクラブのメンバーに入会したのは35歳の時だった。現在もうすぐ71歳を迎えるのだから人生半分で入会したことになる。葬儀という仕事から役職に従事することは不可能ということでお願いしていたが、テールツイスターという役職だけは体験していた。

ロータリークラブやライオンズクラブの新入会員が少なくなってクラブ運営が難しくなったと言われているが、メンバーになって学んだこともいっぱいあったので有意義だったと思っている。

今日の写真は今回の大雪でも問題なく運転されていた北陸新幹線を。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net