2005-11-25

ハンドルネームの由来?  NO 1343


 夜遅くに知人から「!?」という電話、知らなかった事実を耳にしてショックを受けた。

「楽天のオークションにお前の本が出ていたぞ」と言う。すぐに開いてみたら確かにあった。「お葬式はハプニングにのって」が、送料込みで7100円となっていて驚いた。

 他に並んでいる本は2000円台が数冊、後のすべては数百円から1000円台となっており、<希少価値?>なんて言葉を思い出しながら淋しい気持ち。

 この他にも多くのページで愚書のタイトルが載っている。<いつの間にこんなことが?>と「悪名」の拡がりに困惑している。

 私は「変なオジサン」と呼ばれている。ハンドル名もそうしているが、最近、いよいよ自分でもそう思い出してきた。

 この「独り言」をご訪問くださる皆様には「確かに間違いない。そうだ」とご理解されておられるだろうが、葬儀という悲しみの場で「拍手を要請」したり、結婚披露宴の新郎新婦入場で「拍手をしないで」と司会を進めるのだから、少なくとも変人であることを認める。

 しかし、この頑固なオヤジが始めたことは、近い将来に「当たり前」になると断言するし、「ホテル葬」などのように、業界で発言して嘲笑されたことが現実となった歴史もいっぱいある。

 上述の文をお読みになられただけでは「何を考えている!?」と狂人扱いされそうだが、その実際の場におられた方々に大きな賛同を頂戴しているのも事実である。

 これらを簡単に「逆転の発想」という言葉で捉えて欲しくないのが私の心情。ここに至るプロセスなくしてこれらを進めることは不可能だった。

 今日も数人のプロの司会者さん達から伝授を要望され、秘められた幾つかのテクニックを披露したが、「絶対にやりたい」という感想と意欲のアップにブレーキを掛けた。

「演 出として考えるな!」というのが私の信念。なぜそうするのかを学び、自身が<そうあるべきだ!>と確信をしなければ無理で、ちょっと間違うだけで大失敗と いう危険性が秘められている世界。このミスは絶対に取り返しのつかないもの。クレームが発生しても納得させる説得力なくして「やってはならない」と付言す る。

 プロセスにあったキーワードのひとつについて触れておきたい。それは「神仏と共食」という日本の文化の歴史、第一部の「式」と第二部となる「食事」のこと。披露宴は神式なら「直会(なおらい)」仏前なら「御斎(おとき)」と考えたい。

 そうなると何より第一部を重視しなければならない。披露宴のオープニングで拍手をするのは「式が滞りなく済んだ」という既成事実の元に成り立ってしまっているし、お決まりのように媒酌人の挨拶も「報告」から始まっている。

 大半が「披露宴のみ」の出席の筈、「披露」という言葉だけが先行し、第一部が見事に薄らいでいることに気付きたい。

 既成事実は数年で「当たり前」となり、その「当たり前」が正当の道を走ってしまう。私の発想は時代の流れの中、常に「温故知新」という観点で自問自答を繰り返し、リサーチを経て賛同と歓迎というバックアップからスタートしている。

 ブライダルの司会者から「葬儀の司会を教えてください」というケースが山ほどあるが、その前に「結婚式の司会を勉強しなさい」ということをアドバイスしている。まずはご自身が披露宴の司会者でしかないとご理解いただきたいのである。

 そんな方々から贈られたのが「変なオジサン」のニックネーム、それを承知でついてきた人達が一流と称されている。そこで出てくるのが「超一流になるには『変』でなかったら難しい」ということ。だからこれは称号として誇りにしている。
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