2015-12-23

思い出す言葉  NO 4413

碁盤今日「水曜日は」メールマガジン「まぐまぐブログ」の送信日。テーマは友人達との会食時に肺炎で入院していた人の話から広がり、意外と身近に入院の危険性がある事実で、何度も入院したことがあるのでそ体験談も書いておいた。

「幸せ列車」の短編小説「女将シリーズ」の今日の号は、社長をしている夫の高校時代の同窓生からアポが入り、女将も一緒に館内で会ったら、持ち込んで来た話は「旅館葬」のことで、彼は隣町の葬儀社の後継者で、興味を抱く内容の提案だった。

明日は大きな病院へ行き、午前中に予約している診察を受けるが、果たして原因が究明出来るのだろうかと思っている。

今日のニュース映像に「囲碁」の大会のことが紹介されていた。プロ棋士だけではなくコンピューターも参加可能だそうで、正規型の19盤ではなく13盤が使用されるそうだった。

過去に書いた囲碁に関する原稿があった。囲碁は「ヘボ碁ダメなし」的なレベルだが、20代から楽しんでおり、今でも各新聞の囲碁のページが楽しみである。

それは、あるお寺の縁側でのこと。ご住職とお弟子さんが囲碁対局をされているのを見学していた時、高段者であるご住職が、ご自分の白石を打たれる度に呟かれていた「独り言」みたいなお言葉だが、記憶している一部を紹介させていただこう。

「形勢悪し、白石と代わりたいかな黒い石」
「決して他人に妬みを抱くでない。自分も誰かに妬まれることが多いを知れ」
「ああ嘆かわしき哉、親不孝。子が親になっても気付かんとは」
「彼女が出来ぬと嘆く前、まだ自分を発見してくれぬと思うがよい」
「今有りと、思いし花、明日に散りゆく定めでな」
「翼を描いた馬、それがペガサスと最近知った。人間の発想力は凄いではないか」

対局の時間は1時間ぐらいだった。続いて私がご住職と打つことになったが、このような「独り言」は、一手一手に出てくるもの。そこで教えられた「味」のあるお言葉は、その後の私に大きな影響を与えてくださることになった。

ご遷化されてから20年以上経ったが、忘れられないのが「死を迎え『鬼籍に入る』とはおかしなこと。人は『鬼』ではないぞなもし」とおっしゃったこと。

独り言は時折に各地の方言が混じり楽しいものだったが、碁を通して多くの方々に知られることになり、それを楽しみに対局に足を運ばれた方も少なくなく、それこそ檀家さん達をはじめ、多くの方々に素晴らしい説教の一石を投じられた出来事して、私の思い出の中で大切に保存されている「形見」的なお言葉である。

白と黒、石「生き死に」で対戦をする。葬儀屋と宗教者が盤に向かい合うだけでも驚かれる方もおられるだろうが、お寺様には高段者が多いというのも事実である。

今日の写真は碁盤。6寸盤でプロの世界で使用されている「榧」製ならびっくりする高額だが、打ち込んだ石で凹んだ部分が時間が経つと元に戻ると言われている。
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