2015-03-03

伝承の芽吹き  NO 4121

何度か紹介している「幸せ列車」の管理人さんのコラムにケネディ大統領時代に日本からプレゼントされた「お雛さん」が紹介され、飾られた前でケネディ大使が撮影されている写真が掲載されていたし、世界各国の学校給食の写真が興味深かった。ご興味があれば上部の<HOME>からどうぞ。

時折にしか更新しないシーンのコラムだが、友人からメールが届き「会長 コラム」で検索したらトップに出て来たと知らせてくれた。

どうしてこんな不思議なことがと思っているが、過去に「カンタス航空 575便」や「カンタス航空 718便」の検索でもトップページに出て来たこともあり、いよいよミステリーみたいな現象だと考えるしかないこの頃である。

喫茶店や銭湯で会う人達から「独り言」を開いてくださっている人達がいることは理解しているが、その人達の訪問だけではこんな結果にならない筈で、日課のようにご笑覧いただいている方も少なくないようで、恥ずかしいような思いを抱きながら手を合わす。

数日前に深いご仏縁に結ばれる四国の葬儀社がお寺様の本葬儀を担当していると書いたが、ブログを訪問してみると高い評価を受けたみたいで安堵した。

そこに過去に私が伝えていたことが書かれてあった。それは、ブライダル司会者の組織団体から依頼されてセミナーの講師をした際のこと。「結婚式の司会者さんは挙手を」と言ったら大半の受講者が挙手。そこで「今、手を挙げなかった方が本物の司会者です」と言ったものだが、これだけでこの意味が理解出来る人は少ないと想像する。

終焉の儀式には「葬儀式」と「告別式」という言葉があるし、華燭の典には「結婚式」と「披露宴」が存在するからで、どちらも前者は宗教者が存在するのが常だからである。

過去にお寺で仏前結婚式の司会を担当させていただいたことが何度かあるが、もうお分かりだろうが。披露宴しか担当したことがない司会者が結婚式の司会者と勘違いをしていることを指摘したことであった。

それを終焉の儀式に当て嵌めると告別式司会者となり、宗教者が入られる葬儀式の司会者という意識を有することから始めなくてはならないからである。

そんな思いから流行しつつあった無宗教形式の葬儀に対して警鐘を訴え、宗教者が存在しない告別式だけなら「会」となって「司会」なら故人に失礼で、「式」と考える「司式」という意識転換が求められると提起したのである。

そこで無宗教形式では「ご遺族への慰めの言葉」「故人が教えてくださったこの日が訪れること」「参列者への説教的な言葉」「故人への語り掛け」などを組み込んだ式次第を考え、実際に行ってみたら大きな賛同を得ることになった歴史もある。

全国から葬儀の司会者の人達が研修目的に来社されたことが多かったが、そんな無宗教形式の一部を体験させるとカルチャーショックに陥られ、「葬儀式」と「告別式」の意味を初めて理解されたと衝撃を受けられ多人も少なくなかった。

全国に多くの葬儀司会者が存在するが、これをご存じの方は極めて少なく、それこそ「知らぬが仏」の格言のように生涯気付かれないで終わってしまうことになるだろう。

研修に来られた人達に最初に伝える言葉は「私と知り合って幸運となるか、それとも不幸になって大阪からそれぞれの地へ帰るかは分からない」というものだったが、空港や新幹線の車内から「不幸になってしまいました。幸運に至りたいので、今後に何度も行かせてください」とメールが届いたことも多かった。

今日の写真は懐かしいテレビ番組から。「清水国明さん」「森本毅郎さん」「渡辺トモコさん」と並んでいるが、東京から全国放送された生放送で、何度か出演したことがある。
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