2014-09-15

感慨深く  NO 3957


今日は「敬老の日」である。私も67才で孫の存在もあるので「爺さん」と呼ばれる仲間の一人となるが、これまでに全国各地の葬儀社の後継者や従事する若い人達、また指導して来た多くの葬儀司会者達に言い聞かせて来た言葉がある。

「親を送って喪主を体験して本物の葬儀<者>」「孫を有して初めて一流の葬儀司会者になれる」それまでは謙虚にということだった。

まだ若い人達はその体験がないので理解に至らないだろうが、そこそこの年齢だった人達が親を送ったり孫が誕生したりして、「初めてその意味が分かりました」とメールや手紙が届いている。

葬 儀って、こうあるべきなのだ。そんな発想転換は「体感に勝るべきものなし」ということで気付くものだが、「爺ちゃん」「婆ちゃん」の思いは孫が誕生して初 めて理解出来るもの。その瞬間から葬儀に対する考え方が一変し、それまで培った技術の上に自然に生まれた優しさが加わるのだから自分でも驚く筈である。

今日の新聞に「65歳以上が4人に1人」「75歳以上が8人に1人」という記事が掲載され、2035年には「3人に1人が65歳」「5人に1人が75歳」となる予測を紹介していた。

年金を受給されている立場からすると受給年齢に達していない人達には申し訳ない思いもするが、社会保障問題が本当に大丈夫なのだろうかという思いが一層募って来るこの頃である。

円安が予想以上に進んでいる。日銀総裁の会見でも涼しい顔で問題がないように答弁しているし、総理や閣僚も消費税増税で何とかというイメージが感じられ、本当に大丈夫なのかと危機感を抱く人達が多いと想像する。

弊 社と深いご仏縁に結ばれる他府県の同業者は、チラシ広告を一切しない姿勢を貫いている。それは創業者の信念だったと知ったが、葬儀というものはスーパー マーケットみたいな世界とは異質という哲学からで、その人物が最近に登場した大手スーパーの葬祭業参入に嘆かれているだろうと想像する。

世の中は「何でもあり」という様相を呈して来ているが、我が葬祭業界もそんな傾向が感じられ、人生最後の大切な儀式が「処理」みたいな考え方で済まされてしまうことを危惧している。

今日お葬式だった故人は1年ほど前に病院でお会いしたことがあった。インテリジェンスを感じる上品な女性だったので印象に残っているが、同年代ぐらいだったと思っていたので衝撃だった。西方浄土にご往生されたが、静かにお念仏を唱えて手を合わそう。

今日の写真は京都で撮影した中から1枚を。
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