2014-05-15

葬送の変化  NO 3637


昨日、生野区内にあるお寺で檀家さん達への講演が行われ、妻が代行して参加したら懐かしい人物と隣り合わせになってびっくりしたと帰って来た。

その人物はある同じ宗派のあるお寺の檀家総代を務められ、先代さんのお葬式を私が担当したことがあるので当時を懐かしく思い出していた。

交流の広い方だったので参列者が半端じゃなく、天王寺区内にあるお寺を式場として拝借させていただいたが、そのお寺の住職も会葬者が余りにも多いので驚かれていた。

昔はお通夜と葬儀の参列者数は「1対2」で、お通夜に100人とすれば葬儀当日は200人というバランスだったが、徐々にそのバランスが変化し、今では完全に逆転している。

日本の葬儀は「野辺の送り」という言葉があるように、ご出棺をお見送りする考え方が存在していたが、いつの間にか「焼香」という行為に納得を抱くようになってしまい、お通夜で焼香すればそれでよいと考える人達も多くなったようである。

「**さんが亡くなられたそうだ」「お見送りにか行かなければ」と交わされていた言葉が「焼香に行かなければ」に変化してしまったということで、葬送の形式を大きく変えることになってしまった。

長 い仕事の歴史から、ある対照的なケースがあったので触れておこう。お爺ちゃんのご不幸で、一方は奥様が「孫の試験と重なっているから1日遅らせたい」と言 われて対応したのだが、あるケースでは関東に在住される息子さんに「交通費がいるし、孫達は連れて来なくてよいから」と伝えられたからだ。

葬儀は「命の伝達」という重要なキーワードもある筈。人生の「卒業式」で来世の「入学式」と説かれた宗教者もおられたが、孫の存在があると孫にも送って欲しいというのが普通であろう。

前にも何度か書いたことがあるが、多くの葬儀司会者に指導をした歴史の中で、親を送って喪主を務めて一人前の葬儀屋。孫を持って初めて本物の葬儀の意味が理解出来る。それまでは「謙虚」に学ぶべきと教えて来た。

お通夜や葬儀の場でこんなこともと触れておきたいことがある。家族の一員のように可愛がっていた猫や犬のペットが、飼い主だった人物の不幸に嘆き悲しむ姿を何度か体験したことがある。

お通夜の式場に連れて来られたペットが、誰もが感じるような悲しそうな素振りで鳴き声を上げていたからだ。

「忠 犬ハチ公」という物語もあるし、フランスで飼い猫が主人のお墓へ行っているというニュースが話題を呼んでいたこともあったが、マレーシア航空の行方不明事 故や韓国のフェリー横転事故など、突然に飼い主が不幸に遭い、いつまでも帰って来ずに姿を見せないので気付いているペットもいるような気がする。
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