2011-06-22

振り返って  NO 2664


 一昨日の深夜、雷鳴が聞こえ始めてからしばらくすると屋根を叩く大雨の音。我が家の割る猫が落ち着かず、天井を眺めるポーズから一転、ソファーの下に潜り込んで出て来なかった。九州に記録的な大雨を齎した梅雨、今年は我が大阪の雨も例年に比べて多いようである。

 昨夜、遅くに銭湯に行くと、いつもお世話になっている医院の先生に遇った。「血圧の調子は如何かな?」から始まった話だが、私が救急車で運ばれた際の病院での医師と看護師さんの会話を鮮明に憶えていると言ったら驚かれ、それさえも奇跡だみたいなことを仰った。

「あなたの回復の度合いも奇跡的だよ」とも言われたが、外観からそ見えるとすれば喜ばなければならないだろう。

「延髄近くに問題。脳幹損傷の危険性。左半身温覚、痛覚麻痺。右半身麻痺。声帯損傷。嚥下性肺炎状態」なんて会話が飛び交う緊急外来室のベッドの上、<私の人生もこれまで。終焉の時を迎えたな>と覚悟したことをはっきりと憶えている。

  自宅で救急車のサイレンの音を耳にし、強烈な咽喉の渇きを感じたところで妻に頼んだ一杯の水、飲んだ途端に気管支に入ってしまって苦しくなった予想外の出 来事。それが誤嚥性肺炎の始まりだったのだが、そんなことを知る由もなかった救急車の中、行き先となる病院を探して約30分の間の苦しさは、二度と体験し たくない修羅場となった。

 そんな私が杖を手に歩いている。また、箸を手に食事をしている。タオルを絞れること、着替えでボタンが掛けられるという何でもない日常的なことが出来る幸せを感じる日々。で複視状態にある目が回復してくれれば、なんて贅沢なことを考えている。

  不幸なお客様を相手にしてきた生涯の仕事。葬祭業を営む中で「少しでも不幸でないひとときのプレゼントを」と考えてきた様々なサービス発想は、今や全国で 認知され役立っているように感じているが、いくつかの発想を業界提案した際には狂人扱いされたのだから面白く懐かしい思い出となっている。

 私の発想の原点は「温故知新」という世界。献灯、献香、献花なんて、もう30年以上も前に実行していたものである。

  宗教は人の「生き方」を説いたもの。故に宗教者は人を幸せにする立場で、私の「不幸でないひとときのプレゼント」に相通ずるものがあるが、もっと幸せ提供 を重視しなければならない筈の政治家達の体たらく振りには驚くばかり。どこかの「政経塾」が「生計塾」に聞こえてならないこの頃だし、東日本大震災の被害 者の皆さんが余りにもお気の毒ではないか。

 我が大阪では知事も市長も原発反対の意思を表明したが、唐突に15パーセントの節電要請を投げ掛けた関西電力の横暴極まりない姿勢に抵抗感を抱く人が多く、東電や政府と同じで、何とシナリオの下手な組織だと腹立たしい思いに駆られた。

 節電要請を発表した次の日だったと思うが、関西電力のトップが会長を務める関西経済界を代表して、大臣に原発再稼動を要望した行動には本音という衝撃を抱いたし、「関西1400万人の命の水である琵琶湖を守る」と発言された嘉田滋賀県知事にエールを届けたい。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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