2017-05-11

興味を覚えて  NO 6959

さぬきうどん月に3回の旅行をしている友人夫妻がいる。心残りがないようにと考えた行動からで、JR九州の「ななつ星」の3泊4日コースにも行った話を聞いたし、旅の体験談は羨ましく思いながらいつも楽しみにしている。

「うどん県」で知られる香川県の話題が出たが、お勧めというホテルのことが話題になった。我々庶民には高額だが、施術というプランがあるそうで、頭部や頸部のマッサージが知られており、ネットで検索をしたら受けたくなったので近々に行こうかと考えている。

この「独り言」を打ち込むのも天眼鏡を片手に苦労している。そんなところから今日も「10年前の独り言」を転載する。

被害者の葬儀  NO 1858   2007-05-10

塾生から手紙が届いた。特別に悲しい葬儀を担当し、そこで初めて体験することになった多くの現実を学んだことが切々と綴られていた。

人の世の「悲しみ」は「別れ」が何より辛いということだが、社会面に毎日掲載される事故、事件の被害者、また何かの事情で自ら命を絶ってしまった人の葬儀など、そこで突然「遺族」となった「家族」や「えにし」に結ばれる人々の存在を慮るとやるせなくなり、葬祭業に従事する我々の「生業」の「業」という文字が「ごう」と感じてしまうことになるものだ。

式場に入ると悲しみがいっぱい。そんな中でマスメディアの連中が礼節を無視して特権階級のような振る舞いを見せるのも常。それらはご遺族に対する「どんなお気持ちですか?」という愚かな質問が物語るように低次元の世界。いつも「ぶっ飛ばして」やりたくなる思いを抱いてしまう。

さて、そんな悲しい葬儀で我々は何をすべきなのだろうか。そして、何が出来るのかを真剣に考えたいものだが、その前に基本的なこととして会場空間を儀式空間として捉え、そこに参列される方々の心情を考慮すると、自分達がしなければならないことがあることに 気付く筈である。

悲しみや怒り、そして、加害者に対する怒りを共有する参列者の思いを<何としなければ!>と考えると「全員参加」型の提案がキーワードになるだろう。

「ご仏縁で、このお通夜の進行を申し上げます。私に何も出来ませんが、故人、そしてご遺族のご存在を考え、僭越ですが皆様にお願いいたしたいことがございます。受付のコーナーに2冊のノートをセッティングいたしました。1冊は故人に対するメッセージで明日のご出棺時にお柩の中に納めます。そして、もう1冊は ご家族の皆様へのメッセージ用です。皆様が思っておられること、お掛けになりたいお言葉などを綴っていただきたく存じます」

ただ焼香だけしか行わない通夜や葬儀なんて、あまりにも気の毒で悲しいではないか。悪い表現で恐縮だが、それぞれの方が思っていることを吐き出していただくことで少しでも救いが生まれるだろうし、それらは悲嘆にくれられる方々に対する慰めにもつながる筈だろう。

私が「ご遺族へのメッセージ・カード」というものを発案して具現化したのは20年前のことだが、悲しい葬儀の場合には多くの書き込みがあるし、その中の一部をご本人の許可を頂戴したうえで代読申し上げてきた歴史もある。

これも弊社の知的財産のひとつとも言えるが、悲しみの儀式の中で癒しや慰めにつながると考えられる同業者や司会者の方には、どうぞ「ご遠慮なく実践を!」と申し上げておこう。

今日、書店から「大法輪」の6月号が配達されてきた。今月号の特集は「死についての教え」だが、読経と焼香だけの葬儀に対する社会の抵抗感がいよいよ強く なってきているようだ。そんな時代に「音楽を使うな」「ナレーションをするな」「遺影なんて飾るな」と仰るお寺さんも少なくない。今、「お寺を変えたい」 ではなく「替えたい」という檀家さん達が多く存在している現実を知っていただきたいもの。

通夜と葬儀の場で読経が流れる。そのお声と導師の後ろ姿で会場空間が儀式空間になれば嬉しいし、そんな宗教者と称される本物のお寺さんとご一緒出来るのは私の何よりの喜び。衣が導師を務められるようなお寺さんだけは遭遇したくないものである。

明日は、出張の日。雨模様の中を車で東に向かう。天気予報では「雷雨」や「雹」に注意とのこと。腰痛が出ないように願っている。

今日の写真は食べてみたいうどん県の「うどん」を。
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