2019-11-22

人の恋しさが募る季節  NO 8641

札幌のホテル室内から撮影両陛下が伊勢神宮へ出発され、名古屋駅から近鉄特急「しまかぜ」で宇治山田駅に到着され、多くの人達が出迎えられる光景がニュース映像で流れていた。宇治山田駅には貴賓室の存在があることも知られているが、外宮や内宮へ参拝される人達の玄関口でもある。

先月に伊勢神宮へ参拝したときは外宮のすぐ近くにある「鰻料理店」の「喜多屋さん」へ寄ったが、前にも書いたように阪神タイガースで活躍された「西村幸太選手」の実家で、巨人の沢村投手と投げ合っていた歴史もあるが、お二人が宇治山田のご出身で、太平洋戦争で戦死された悲しい歴史もある。

前回に外宮に参拝した際に入り口にあった警衛事務所で幼馴染みのことを聞いたら、数年前に警衛のトップを引退し、2年前に津市で亡くなっていたことを知って衝撃を受けたが、教えてくれた警衛の方も葬儀に参列されたそうで、不思議なご仏縁に手を合わせた。

その幼馴染みが警衛のトップに就任していた時は、両陛下や皇室の方々が参拝される際は先導していたようだが、令和の即位をされた両陛下を先導されることは出来なかったが、皇太子の時代には責務を果たしていたと想像する。

さて、もうすぐ師走を迎えるが、数年前まで恒例となっていた年賀状も申し訳なく思いながら対応しておらず、手が不自由になったことからどうしようもなく、いただくことばかりで許祝している。

手元にあった年賀状の中に2011年のものがあった。差出人は函館の友人で、現在は「函館市立博物館 郷土資料館 旧金森洋物店」の館長をしており、8月に友人と函館に立ち寄った際に、一緒に食事をして来たが、うさぎ年の年賀状には「新幹線も青森まで開通しました。八戸経由で函館までお出かけくださいませ」と添え書きがあり、「恭賀新年」に添えて大叔母さんの幼女になりました」と書かれてあったが、数年前に夫婦で函館を訪れた際、その方とも一緒に食事をしたが、その時に見せていただいた歌集に読まれた歌の素晴らしさに感銘を受けたことを憶えているが、その方もすでに亡くなられているので寂しいものだ。

彼女は私の友人が八戸に在住していることも知っていたが、その人物は不思議なご仏縁から知り合った私と同業者で、青森の浅虫温泉で講演をした際にも出席してくれていた。

私が膵炎で3回入院したことを何度か書いたが、2回目の時は北海道旅行の最後に函館で1泊し、「特急スーパー白鳥」で新青森に行き、東北新幹線に乗り換えて八戸に立ち寄り、1泊した次の日は一ノ関駅でドラゴン線に乗り換え、気仙沼にいる不思議なご仏縁のある夫妻と会って帰阪したが、函館の湯の川温泉「竹葉新葉亭」での夕食時に食前酒を飲んだことが悪かったみたいで、帰阪してからすぐに兆候が出て再発入院となった。

気仙沼の夫妻とは本当に不思議な縁があり、消息が取れなかったのが「幸せ列車」に掲載された新聞記事の写真から大震災の被災者の皆さんに元気を贈る活動をしておられることを知り、電話を入れて再会の運びとなった。

気仙沼の地で明石焼きの店舗を開業予定だったが、津波で全てを流され「たこ焼き店」を開業されて頑張られ、再会してから間もなくに電話があり、人気のテレビ番組「人生の楽園」で採り上げられ、私が小学生時代に食べた醤油味のたこ焼きを伝えたら、すぐに試行錯誤している模様も放映されていた。

この醤油味のたこ焼きの存在を知っているのは私の他にもう一人いる。割烹をやっている友人の奥さんで、いつもその時代の話題に花を咲かせている。

それこそ「三丁目の夕日」の頃で、屋台の店がカーバイトを燃やして明かり代わりにしていたことも懐かしく、その独特の香りも記憶している。

函館には毎年立ち寄っており、お気に入りの和風旅館「竹葉新葉亭」には8階宿泊しているが、8月に一緒に行った友人も「素晴らしい」と感銘の体験をしていた。

昨年の秋は台風21号で我が家が大被害を受けた後に北海道旅行に行ったが、秋田空港から秋田駅に行き、五能線を走る観光列車「くまげら」で5時間以上要して青森に向かい、次の日の早朝の津軽海峡フェリーで函館に立ち寄ったが、その日の宿泊はニセコまで行って「紅葉音(あかばね)」を利用した。

その前の年は前年に引き続いて洞爺湖に宿泊したが、洞爺湖も3回目の利用で様々な面白い出来事に遭遇しており、機会があれば紹介したい。

今日の写真は札幌のホテルの室内から撮影した1枚を。
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