2017-10-13

懐かしい!  NO 8001

ピピの社長のブログから朝の散歩の途中に横断歩道を渡り切った所で名前を呼ばれて男性から声を掛けられた。その人物はあるお寺の息子さんで、本山の社会福祉を担当されていた方だった。

随分昔に何度かゴルフをご一緒したことがあるが、毎年1月5日に三重県のゴルフ場でコンペを行われていたことを思い出す。

当時は近鉄特急も難波までつながっておらず、地上駅である上本町で集合していたが、ある年にご一緒したら座席を回転させて向かい同士になった、彼の横に座っていた人物が招待面で丁寧に自己紹介くださったが、がっちりされた体格が半端じゃなく、内心「普通の人じゃない」と思っていた。

それがはっきりと理解することになったのがコンペのスタートホールで、同じ組でラウンドした彼の飛距離は衝撃的で、キャディーさんが「プロの方ですか?」と質問された。

その人物はプロ野球の現役選手だった。私より50ヤード前方まで飛ばすのだから驚きだし、「パー3」のホールではアイアンが3番手も違っており参考にもならなかった。

もうあれから30年以上が経つが、ご家族の皆さんがお元気だと伺って安堵した。

さて、広島のピピの社長のブログを毎日訪問し、何度か掲載されている写真を拝借したこともあるのでここで手を合わせておこう。

彼女のブログの数日前の号で、社長の妹さんの誕生日のことを書いておられた。私はその妹さんと会ったことがある。

九州で行われた大規模な合同葬の司会を担当した際、佐賀、福岡、大分などから応援で手伝って貰い、広島のピピの社長にもお世話になった。

全ての仕事を終えてその人達を乗せて佐賀、福岡と送って最後に残ったのがピピの社長だった。最寄りのインターを降りて会社か自宅の近くまでと考えていたら、彼女が車内から妹さんに電話をされ、インターチェンジの一つ前のサービスエリアまで迎えに来て欲しいとお願いしていた。

山口ジャンクションを過ぎた辺りでの電話だったので到着時間にも余裕があったが、そのサービスエリアに入ると妹さんが車で迎えに来られていてご挨拶をした。

もうあれから10年以上の月日が流れるが、妹さんが大病を乗り越えられたようなことも紹介されていてびっくりした。

ピピの社長のお母さんの葬儀の司会を担当したが、依頼されてからスケジュールの関係で5日後の葬儀となって申し訳なく、私の人生で大きな「借り」の一つとなっている。音響システムを車に乗せて尾道へ向かったが、後部座席とトランクもいっぱいの状態だった。

しかし式場に行って気付いた問題がカセットやCDの機材が存在していないことだった。次の日の朝から松山から応援に来て貰っていた同業者に弊社の女性スタッフを乗せて貰って電化ショップで購入して間に合わせたが、想像もしなかった参列者で入れずに式場の外におられた会葬者に対する音響システムの対応が出来なかったことも申し訳なかった。予備のスピーカーを2つ積み込んでいたらと後悔した。

そんな体験はその後の私の「最悪の想定」につながることになった。北海道で行われた大規模な葬儀式場のオープニングセレモニーに知られるシンセサイザーの演奏者を依頼し、機材を前日までに宅急便で送るようにお願いしておいたのだが、前日まで指宿に滞在して前日入りを予定していた私は気になって仕方がない問題があった。

それは新築の立派な式場でも音響機材がどのようなものかは情報がなく。もしもシンセサイザーのラインがなければ音が鳴らないということで。奏者に電話でお願いして当日に行かれる時に小型のスピーカーを2個持参して欲しいと伝えた。

鹿児島空港から千歳まで飛んで式場に入ったら、立派な音響や照明コントロールシステムがあるのに外部入力のラインがない。そこで持参して貰った2個のスピーカーが役立つことになった。

もしもスピーカーがなかったら、シンセサイザーはそれこそ「絵に描いた餅」みたいになって折角お願いした演奏者も来られていただけとなっていただろう。

この時にもう一つ「最悪の想定」を考えて実行したことがあった。もしも私が搭乗する飛行機が欠航したり、事故が発生してしまったらあなたが司会を担当して欲しいとメモリアルグループの社長にメールで司会のシナリオを送信しておいた。

今日の写真はピピの社長のブログから拝借した一枚だが、妹さんの誕生日のものである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net