2016-09-20

そうだった  NO 4981

テレビや新聞で話題なったこと台風一過、予想もしなかった被害も出ていたが改めて自然の営みに謙虚にならなければならないことを認識する。

ニューヨークでテロらしい爆発事件が起きていた。信じられない行為をする連中も存在するので人間社会は不可解である。

リオで開催されていたパラリンピックが閉会した。私も健常者でない身体になったが、障害のある人達が躍動して光り輝く姿にただ拍手を送りたくなる。

そんな今日、ふと随分昔に発信した「独り言」に目が留まったので再掲を。


我が国で、毎日3000人以上の人達が亡くなられている。新聞やテレビのニュースでは悲惨な事故死や殺人事件が連日報じられている現実、そんな社会環境の中、死について真剣に学んだ人がどれだけ存在するのだろうか?

死や悲しみを学べば間違いなく事故や事件は減少するし、テロや戦争も治まる道が開けるだろう。

いつかは死を迎えると理解していても他人事と考えてしまうのが大半、そのために本当の「生」の喜びを知るところまで至れないのは淋しいこと。物事は出口から遡って考えてみると発見がある。

人によって「生きている」「生かされている」との考えの違いがあろうが、人間とは「欲望」が消滅してしまえば人生の終焉。「余生」とは決して70歳や80 歳の年代だけではなく、自らが死を選ぶ若い人達にとっては10代、20代だって「余生」となるが、そんな選択者に「余生」の言葉は当て嵌まらない。

凡人、凡夫という言葉があるが、我々人間とは「煩悩」と共に日々を暮らすもの。この世に嫌気をさし自殺という道を選択する。それも「煩悩」の「成す」行動だろうが、そこに「死にたい」という「欲望」があるということを知って欲しい。

「欲望」があれば別の道に希望や夢を探したい。「為す」「成す」と「な」の文字には様々あるが、「生す」という字もあるし自分がこの世に生まれ「名」を授かっていることを忘れないで欲しい。 

ネット社会に自殺サイトが多いが、生きるサイトも少なくない。こんな煩悩や欲望を奇麗事で解決するのには無理がある。自身を見つめ直す際に大切な言葉は「過去、現在、未来」である。

未来に希望の光が見い出せないから死を選ぶ、それでは「生きたい」と不治の病と闘っている人や先天的に障害を持たれた方々に失礼だ。

目が見える、言葉が喋られる、音楽を聞ける、それだけでもどれだけ素晴らしく恵まれていることなのだろうか? 人生をゲーム感覚で捉える風潮に危機感を覚 える。そんな教育論をぶち上げる政治家が登場しないのも寂しい限り。今、我々日本人がテロの被害者になる危険性はあるが、少なくとも戦争の中で生活をして いることはない。

今日、全く知らない地方の同業者の方からメールが入った。葬儀の仕事で様々な悩み、事故死や若い人達の葬儀、悲しみの強い場合に逃げ出したいと訴え「この仕事に向いていないのでしょうか?」という質問が。

この独り言を知られたのは数日前だそう。ネットで葬儀に関する言葉で検索したらこの「独り言」がトップに出てきたそうで、、改めて責任を感じてしまう。

彼は葬儀の仕事に向いている。悲しみの葬儀で平然と作業できるのがプロではない。逃げ出したいというのは誰もが同じ。何も出来なくてもよい。側に寄り添うことが出来なければ少し離れて見つめなさい。

ご遺族が悲しんでいる光景、その先に故人があなたに訴えていることを感じるだろう。

セミナーや塾を開講している立場の私、技術を教えるよりも「お客様の悲嘆心理」に重きを置いており「命の伝達式」もそのひとつだが、葬儀の仕事に誇りを持ってくれることを願っておいた。

癒しなんて簡単ではない。他人を癒すことは不可能だと謙虚になり、まずは自身を癒すことから始めよう。それが出来なければゼロ或いはマイナスから再出発が必要。上述の「命の教育」はそんなつもりで書いた。

今日の写真は2000年に発表した慈曲葬のシミュレーション。NHKの全国放送やサテライトニュースなど多くで取り上げられ、別の祭壇設営は新聞の一面にカラー記事で掲載された。
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