2015-05-11

そうだった  NO 4188

新しくなったこの「独り言」では、昔のページが瞬時に開けられるので便利になっている。現在のページが「1」になっているが、そこから遡って「4052」のページを開いたら無性に当時が懐かしく思えた。

そこには業界以外の講演に行くと受講者に段階世代が目立って多く、その世代が迎えている深刻な現実に触れていた。

「親の介護」「親の葬儀」「子供の結婚適齢期」「自身の健康の留意」「家庭と仕事のどちらにも担う重責」というものだが、そんなことを書いていたのは20世紀の終盤の頃だった。

50歳を迎えたらやりたいことが幾つかあった。それらを具現化する行動を始めのもこの頃で、「葬儀は近い将来ホテルで行われる時代が来る」と業界向け講演で発言したら嘲笑を受け、「そんなことになったら逆立ちしてやるよ」と言われたこともあったが、そんな予見は想像以上に速い到来という現実を迎えることなった。

そんな50歳で行動したのが、「新聞社主催による『お葬式フェア』の開催で、1997年
に大阪で、1999年に東京でプロデュースをして実現することになった。

次に「ないものは自分で作れ」とシナリオを描き、不思議なご仏縁で出会った音楽家に依頼して葬儀用オリジナル音楽CD10曲を完成。「慈曲」と命名されたこのCDが話題を呼び、読売テレビの「宗教の時間」で特集放送されたことは予想もしなかったことである。

次に始めたのが全国に点在される葬儀の世界での「匠」と称されるプロ達を結集して組織化すること。IT技術に長けた者、音響や照明のプロ、宗教者の資格を有する葬儀社、音楽に造詣深い者、司会の世界に長けた者、優れたクリエーター能力を有する者などが集まり、非営利で「互いが生徒「互いが先生」というかたちで研修会を重ね、それぞれが発想構築したオリジナルサービスはお客様の高い評価を頂戴することになり、それぞれの地でオンリーワン、ベストワン企業として存在し、現在に至っている。

上述したホテルを会場とする「偲ぶ会」「お別れの会」「社葬」なども積極的に取り組み、ホテルを会場として「新しい時代の葬送サービス」として大規模なフェアを開催。各新聞社のニュース記事やNHKテレビやサテライトニュースなどの番組でも特集紹介されることになったが、ある大手新聞社は数日後に一面にカラー記事として採り上げられ、一気に全国的に広まったという歴史も忘れられない思い出である。

我々葬儀社が一面や社会面に掲載されるケースは悪い話題しかなく、過去に大手葬儀社や大手冠婚葬祭互助会が糾弾されていたが、こんな「かたち」で掲載されたことは珍しいことで、それからしばらくしてある美談が表面化し、私の写真が社会面のトップ記事に掲載された出来事もあった。

それは大阪版だったが、暗いニュースの多い世の中にこんな温かい話がということになり、数日後に名古屋版でもカラー記事で採り上げられることになり、それが元でラジオやテレビの番組で紹介されたことも憶えている。

理想集団、夢集団だったからこそ社会の歓迎と賛同を得たと考えているが、目先の利益を考えたり、囲い込み戦略で組織運営された団体はその多くが崩壊してしまい、家族葬を打ち上げた組織団体も後悔する現実に陥っているようだ。
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