2014-11-20

あの日、あの頃  NO 4018

ある高僧から教えられた言葉が「永六輔氏」も何かの雑誌で触れられていた。それは人の「死」は2回あるとい うことで、1回目はお通夜や葬儀が行われる「死」で、2回目はその人物を知る最後の一人がこの世を出立する瞬間であり、それまでその人は知る人達の心の中 で生き続けているというものだが、そんなことを過去に書いたら「幸せ列車」の管理人さんがコラムの中で「著名人は永遠に死ねない」と書かれていたことが印 象に残っている。

過日にご逝去された映画俳優の「高倉健さん」もそんな著名人で、多くの人達の心中で生き続け、次世代へと語り継がれることだろう。

歴史に登場する人達は何百年も語り継がれているし、宗教を開いた祖師と称される人達は永遠に生き続けていることになる。

昔、 4冊の愚書を世に出したことがある。もう30年前後の月日が流れているが、きっかけとなったのは葬儀という仕事に携わり、人の死を考えているとふと感じ始 めたのが音楽のこと。作曲家達は死後も曲が演奏されて語り継がれるという事実。そこに何よりの生きた証しがあると気付いたからである。

初作を発刊した時に冒頭の部分に詩を入れたが、「あなたは生きているのですか?」「それとも生かされているのですか?」というようなことを書いていた。

その時から「生かされている」と謙虚に考えるようになったが、IT社会になってアナログ人間の私がこの「独り言」をはじめ、コラムやブログで1万近い本数を打ち込んでおり、それらは「生かされた証し」として存在している。

こ れまでに様々な道楽をして来た歴史もある。そんな中に音楽という世界があり、絶対に欲しい、なければ自分で創作をと、不思議なご仏縁で知り合った女性の音 楽家に依頼、シナリオを描いてそれぞれを作曲して貰い、自分で作曲した曲も収録した葬儀音楽CDを監修して世に出したこともあった。

それからすぐのことだった。ある著名な人物の葬儀のニュース映像が流れ、ご出棺の光景に流れていた音楽にびっくり。それは、私が作曲したものだったからだ。

その女性音楽家は天才的という衝撃的な人物だった。あるホテルで行われた大規模な社葬の際、故人がお好きだった曲を献奏曲として演奏して貰うことになったが、古い昔の曲で何処にも楽譜がなくて困っていた。

本番を迎える5日前のことだった。「楽譜が見つからないのです。知らない曲なのでどうにもなりませんし」と電話があったのだが、その曲の旋律を頭の中の何処かに記憶していたのが突然思い浮かび、それを伝えると「電話口でハミングしてください」と言われた。

そして数人のスタッフがいた事務所内で電話でハミングをすることになってみんなが「何をしている?」と不思議そうな表情で見つめられたが、ワンコーラスを伝えただけで彼女は「採譜が出来ました」と返って来たので信じられなかった。

当日はシンセサイザーを入れたが、音色の選択は私が決め、彼女の素晴らしいレクイエム調に編曲された献奏曲は「会場」を「式場」として見事に神変させることになった。

今日の写真はオリジナル葬儀音楽CD「慈曲」の再掲。
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