2014-07-10

懐かしい思い出  NO 3890


台 風が襲来している。上陸する前の勢力は、まるでゴジラみたいなパワーの台風であった。NHKがゴジラの特集をやっているが、一昨日に放映していたのは60 年前の初演のもの。放射能やストロンチウム90という言葉が出て来て驚いたが、原爆や水爆実験を反対する思想も感じたし、最近の原発問題についても考えさ せられるシナリオ構成があった。

大学教授で生物学者を演じた「志村喬さん」のエンディング部分の言葉が印書に残った。水爆実験を続けたら何処かで第二のゴジラが目覚めるかおしれないというような発言だったが、60年も前にこんな問題提起をしていた事実に驚きを新たにした。

奇しくもアメリカでゴジラの映画が発表されていて話題を呼んでいるが、反核や反戦につながればと期待したい。

幼い頃にゴジラ映画の続編を観た記憶がある。ゴジラとアンギラスという怪獣が戦うようなストーリーだったが、小学生の頃だったからもう50数年前のことになる。

ちょうどテレビが登場した頃だった。びっくりするような高額だったので何処の家庭にもという時代ではなく、限られた家にしかなく、テレビのある家の同級生が想像以上に周囲から大切にされていたことを憶えている。

当時の映画館の売店には「みかん水」と「ラムネ」の他に「サイダー」もあったが、「サイダー」が20円と高く、「みかん水」が5円、「ラムネ」が10円だったので「サイダー」は高根の花みたいな存在になっていた。

近所の酒屋さんからサイダーの配達があったことも憶えているが、「三ツ矢サイダー」「キリンレモン」「リボンシトロン」の3種類があり、それぞれに特徴のある味わいが感じられた。

前にも書いたが、初めてコーラを飲んだのはアメリカに管轄されていた当時の沖縄で、高校2年生の時だった。薬みたいな味にびっくりしたが、みんなが抵抗なく飲んでいたので興味を抱いたが、1週間ほど過ごして帰る頃にはすっかりファンになっていた。

その後にコーラが国内で販売されるようになったが、様々な風評が流れていたことを憶えている。「ガンになるぞ」「アメリカの国家戦略で他国民をコーラ中毒に」なんて話題があったのだから今では考えられないが、当時はどんどん脚色されて広まっていたことも事実である。

コカ・コーラとペプシコーラのCMの戦いが話題を呼んでいたが、互いが相手を攻撃する宣伝は日本では考えられないこと。それらは自動車などでも使用された常套手段となっていた。

今日の写真は過去に監修した葬儀用音楽CD「慈曲」のジャケット裏面。10番目の曲は不思議なご仏縁から誕生に至った私の作曲だが、ニュース映像に流れた著名な方の葬儀のご出棺時に流れていた曲でもある。
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