2019-12-31

一人と一匹正月  NO 8669

大晦日、朝から病院へ向かう。風が長崎空港からの船内で撮影強いので手に持つ杖に負担が掛かり、左肩の凝りが酷くなって辛くなる。

前日に電話で知らせた夫妻が遠方からやって来てくれた。博多駅で「のぞみ」に乗り換えた来たそうだが、びっくりするほど込んでいたそうで申し訳なかったが、本人が見舞いに来て欲しい人物だったので連絡をした。

奥さんは看護の世界で知られる人物で、妻も彼女の存在をいつも自慢していた。昼食時だったので彼女が抱き起こして食べさせてくれたが、如何にも国際的に活動している看護師さんだと感心した。

ずっと微熱が続いているのも気になるし、血圧が高いのも心配になるが、診療科の異なる先生が年末年始で折悪しくどうにもならず、とにかく社会が平常時になることを待ち望んでいる。

いつも一緒に食事に出掛けるご夫婦が来てくださった。「早くよくなって食べに行きましょう」と声を掛けて貰ってもしっかりとした反応がなく、どうしてこんな状態になってしまったのだろうかと疑問を抱く。

ナースステーションに食事に出掛けることを伝えて「がんこ」に行ったが、びっくりするほど混雑しており、年末年始の営業をするパワーに圧倒された。

熊本からやって来た夫婦だが、地震の体験談を聞いて友人夫妻のことを思い出したが、今年の5月の玉名温泉での講演の際に奥さんは診察日と重なって会えなかった。

もう40年の交流があるが、熊本駅近くの自宅を訪れた際に車の中で寝泊まりしたら、余震の揺れが気持ち悪くて大変だったと語っていた。

彼の家の仏壇にも手を合わせてきたが、床の間には熱中症で亡くなった中学生の孫の写真が飾られていた。幼い頃から絵に特別な才能があり、何度も新聞社の全国大会で賞に輝いていたが、幼稚園の時代から中学生に間違われるほど恵まれた体格で、タモリさんの番組で「来てくれるかなあ」で採り上げられていたことも憶えている。

そんな彼はラグビーの世界で注目を一身に集めていた。岡山県でに合宿の際に不幸に遭ったが、今年のラグビーの大会が見られなかったことが残念である。

人には人との出会いがあるが、知り合ったから別れが辛くなることも避けられない宿命だが、夫婦の絆とは一言で表せないほど奥深いものである。

インターホンが鳴って隣の奥さんが差し入れをくださった。しばらくするといつもゴルフを一緒に行っていた娘さんから電話があり、毎年いただいている「黒豆」を 今年も届けてくれた。 

黒豆を炊くのは簡単ではないことを知っているが、彼女のい黒豆はプロ級のレベルなので感心する。

この「独り言」から妻の入院をご存じだが、いつも心配くださっているので手を合わす。

昨日に関東のお寺に嫁がれた可愛い女性から宅配便が届いた。「米に生き、米を活かす」というキャッチコピーの黒胡椒の菓子が入っていたが、添えられていた彼女らしい優しい文章に懐かしさを憶えた。

有馬温泉の有馬グランドホテルヲ会場とした私の誕生会に出席してくれ、新神戸駅近くの竹中工務店の博物館で妻が行方不明になった時に迷惑を掛けたことも懐かしいが、我々のことを「面白い夫婦」と言っていたことも思い出した。

来阪されたときに寺田町駅近くのカラオケ店で彼女の歌声を耳にして驚歎したが、流石に舞台で活躍していた歴史があると感心した。

そんな彼女は今、お寺の「坊守さん」として尽力されている。宅配便の中にお寺名の入った「お年賀」もあったが、銀座のパーラーぼ包装紙だったのでびっくりした。

昔、大晦日で紅白歌合戦が終わった後に「行く年来る年」という番組であちこちの「鐘の音」を特集することがあり、オープンリールの録音機で収録したことがあるが、この録音が役立つことになったのが、四天王寺で行われた大阪府仏教界と大阪市仏教界が主催する太平洋戦争全物故者慰霊式で、プロデュース年会を担当することになって、式の冒頭にこの「鐘の音」を活用した。

社会の流れが変化し、「除夜の鐘」が騒音というクレームから中止する事態があちこちで起きているが、「聞きたくない」という権利と「撞きたい」という権利をどのように考えるかも重要だが、文化、伝統、情緒、風物詩という言葉が消えていくことは寂しいような気がする大晦日である。

毎年深いご仏縁に結ばれるお寺で「除夜の鐘」があり、いつも「お塔婆」の炊き上げを担当していたが、大病を患ってからはご無沙汰してしまっている。このお寺の団参は国際的で、ハワイ、アメリカ、カナダ、インド、ブラジルなどが企画され、妻がいつも参加していた。

今日の写真は今年の5月に長崎空港から乗船した船内で撮影した1枚を。
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