2017-04-23

患者の体験談  NO 6045

大阪赤十字病院一昨日の号で、ある会歌の編曲を依頼された昔話に触れたが、作曲と作詞をされた方が頑なまでに拘っていたのが「東」を「ひんがし」と読んで歌うことで、その時にその意味について調べたことを憶えている。

「ひんがし」は「ひむかし」や「日向処」という意味があり、太陽が出て来る方角のことで、東という文字を目にするとその人物のことが思い出される・

さて、数日前にある会食に参加して来た。電話があって誘われた友人や知人の集まりだったが、体調が芳しくないので欠席しようと話していたら、「君が出席しなければ意味がない」と言われ、参加してみたら表面化した会食の目的を知ることになった。

十数人が参加した会食だったが、ある夫妻を励ますことから友人達が企画したもので、夫妻のご主人が発覚した病気の手術を受けることになり、本人が真剣そのものの表情と口調で、「万一の時は妻をよろしく」と言われたのでびっくりした。

私が呼ばれた事情がすぐに分かった。手術をされる病気は私が還暦前に受けた手術と同じで、体内の血管に問題が生じ、私の場合は服部だったが、ご主人は心臓に近い胸部で病名は「胸部大動脈瘤」だった。

しかし、担当医師から説明を受けた内容は私の時と随分とことなっており、それが医療技術の進化であることを知った。

開腹手術で30数針を縫合した体験をしているが、数日後に受けられる手術は足の付け根から血管内に管を通し、それに合わせて入れられるステントグラストで患部を膨らませるだけで完了だそうで、手術時間も画期的に短いし、退院までの入院期間もびっくりするほど少ないと聞いた。

ずっと高血圧で薬を服用していたそうだが、何か胸部に違和感を覚えられたことから検査を受けたら発見されたそうだが、私がこうして10年以上も問題なく存命している事実に安堵感を抱かれたようで、閉会時の夫妻の表情は随分と明るくなっていた。

私の場合は長時間の手術となっていた。全身麻酔から醒めて集中治療室で過ごした24時間が最悪の体験で、その後も様々な幻覚まで体験した話を何度かこの「独り言」で書いたことがあるが、その時の体験談を話したら出席者が興味深く耳を傾けて聴いてくれた。

この病気に関して最も問題になるのは、そうなった発生までのプロセスであり、現在に至るまでの過去を遡って考える必要があるからで、発症してから何年も経過して徐々に大きくなって来た物か、急激に肥大した物かということで、もしも破裂してしまったら大変という事情があった。

私が手術を覚悟したのは診察で発見に至ってから1年後のことだったが、赤十字病院の担当医から次のように言われてずっと気にしながら1年を過ごしていた。

「検査の結果ですが、あなたの場合は随分と昔から発症していたようです。まだ緊急手術という段階ではありませんが、いつ破裂するかは分かりません。様々な検査を経てあなたの身体のデーターは当病院のコンピュータの中に登録されましたからご安心を。ただし、日々の生活の中で腹部に激痛を感じられたら破裂と思ってください、すぐに救急車で病院に来てください。発症してから20分以内なら半分は助かりますが、助かっても体内の出血という問題が残りますので大変なことはご理解ください。大阪市内から離れないように。山奥の温泉地で破裂されたら終わりとご理解を。

そんなことから1年間を自重しながら生活をしていた。「机の角に注意を」「前の人の肘に注意を」「野球やゴルフのボールが腹部に当たらないように」なんて様々なケースを説明されていたので恐ろしかったが、今ではその時に入れられた人工血管のお陰で生かされている。

今日の写真は5回入院したことのある大阪赤十字病院を。
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