2017-03-21

不安な夜  NO 6013

浜坂駅朝から医院へ行った。開院前の時間だったがすでに待合室には5人の患者さんが。その中に昨年にご主人を送られた奥様がおられた。

15分程度の待ち時間で診察室に入った。数日前から感じている腰痛の症状を訴え、4回目となる病気の再発を心配したら、「可能性は低いよ。少し様子を見よう」となって採血だけ受けて来た。

予想している病状からするとぼちぼち腹部に鈍痛を感じ始める筈だが、現在はまだ出ていない。取り敢えず絶食は解除ということで帰宅してから「どん兵衛」を食べた。

しかし最悪のことを考えて昼食を抜き、夕食も軽く済ませた。何故だろう?と様々なことを考えてしまう。左胸部の神経痛が腰の後部でも出たのでは?なんて思っているが、先生にそんな素朴な訴えをするべきだったと後悔した。

ひょっとして再発でまた入院するのでは?と心配していた妻が「本当に大丈夫?」と信じていないようだが、それは3回の発病時のことを体験しているからだ。

大阪赤十字病院の救急外来へ行ったり、赤十字病院が満床で大阪鉄道病院の救急外来に行って入院した時も同行しており、食事の内容にも神経を遣っていたこともあるので病気に対する強い思いがあるようだ。

杖を手にする生活となってからは保護者みたいに同行して貰っているが、この数年を振り返っても北海道のトマム、富良野、苫小牧、室蘭、洞爺、函館、青森、気仙沼、ハワイ、オーストラリア、名古屋、東京、伊勢、四国半周、九州の平山温泉、雲仙温泉、嬉野温泉、武雄温泉、山陰の湯村温泉、広島県の尾道、岡山県の湯郷温泉などに行っているが、まっすぐ歩くことが難しくなった上に目の調子がいよいよ悪くなったので、動ける内に、見える内に行動をしなければと考えている。

元都知事だった石原氏の百条委員会のニュースを観たが、2年前に脳梗塞を発症されて文字の記憶もなくなったと発言されていたが、私の場合は5ミリのズレで記憶部分には問題なかったが、発症から治療を受けるまでの時間が経過してしまっていたので様々な後遺症が出た。

発病した瞬間から当たり前だった機能に障害が出るので衝撃だが、若い人達にも発症する病気なので気を付けて欲しい。

リハビリ病院で3か月を過ごしたが、そこで様々な患者さん達と会った。全く身体が動かない全身不随という人もおられたし、言語障害、半身不随の人が多かったと記憶しているが、記憶障害になった若い女性が印象に残っている。彼女は古い記憶は出て来るのだが、新しい記憶が入力出来ないところから病室を出ると自分の部屋に戻ることが出来なかったので大変だった。

ピアノの先生という女性もおられたし、美容室の先生という女性もおられたが、どちらもご自身の仕事が不可能になった現実を嘆かれていたので、この病気の残酷な後遺症を理解出来るだろう。

もしも入院となったら病室へ弁護士に来て貰って遺言を託そうと考えているが、果たして血液検査の結果がどうなるのだろうかと不安である。

今日の写真は山陰の湯村温泉の最寄り駅である浜坂駅の駅舎の暖簾を。
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