2019-02-21

大丈夫だろうか?  NO 8434

てるてる坊主将棋の世界に藤井君が登場してブームになっているが、囲碁の世界にも小学生の女の子が登場して話題を呼んでいる。

私が将棋を憶えたのは商学3年生だった。同学年の生徒のお父さんが高段者で、彼の家には多くの駒があり、正式ルールなら両者で40枚の数だが、様々な駒を並べて盤面には60枚くらいあり、「歩」の列が普通なら下から三段目だが、4段目に並べて対戦していたのが懐かしい。

青春時代の仲間に3人兄弟で将棋が趣味という家族がいた。何度か遊びに行った内に引き込まれて対戦することになったが、3人ともかなりの腕前で好きなようにあしらわれる差があった。

そんな彼らが絶対に勝てないと言う人物がおられた。近所の高齢のおじさんで、ある時に友人が対戦したのを観ていて驚くことになった。友人が1手目で「飛車」筋の「歩」を進めたら同じように進め、同じではないかと思っていたらそれからすぐに変化が始まり、あっという間に友人が負けてしまった。

そのおじさんが我々に出したクイズが面白かった。40枚の駒を盤面に取られないように置くというもので、「飛車」筋や「角」筋には置けないし、「香車」は最上部に並べ、その後方に「桂馬」を並べることをヒントに悪戦苦闘したが、3枚残っていたものが2枚となり、やがて1枚だけ残るところまで進んだが、誰も正解に至らなかったことを記憶しており、将棋を親しまれる方は挑戦されたらと紹介申し上げる。

囲碁や将棋の世界でプロとアマの差は歴然としている。過去に逸話として触れたことを再掲するが、今は亡き「藤沢秀行氏」が全盛の頃、名張市に関西金棋院の支印がオープンする記念イベントに招かれ、小学生の弟子を伴って行かれた際のことだが、地元の有段者と小学生が対戦することになり、始まってからしばらくすると藤沢秀行氏」が次のように言われた。 

「この子に勝つ『碁』を教えていますが、相手に遭わせることは教えておりませんから」

小学生は高段者が熟慮して打つとすぐに打ったので観戦していた人達が驚いたそうだが、完全な「中押し勝ち」という結果となって衝撃だったことを「囲碁」の雑誌で読んだことがある。

「合わせる」という技術が出てきたことから過去に触れたことをもう一つ再掲しよう。

私が碁を憶えたのは20代の後半で、顧問税理士の先生から「経営者は囲碁とゴルフを学びなさい」と教えられたことから始まったのだが、先生はアマの4段の実力だったが、ある日梅田に近い碁会所で3段の友人と打たれていたら、「いい碁を打ちますねえ」と声を掛けられた見学者がおられたそうで、お二人が続いてその人物とそれぞれが対戦し、どちらも接戦で一目負けという結果になって面白い偶然がと思っていたら、その人物が帰られた後に碁会所のおじさんがその人物がプロの8段だと教えてくれて驚いた出来事だった。

午後9時23分、テレビの画面に恐怖の音とともに緊急地震速報のテロップが流れた。震源地は昨秋の大きな地震が発生した地域で「震度6弱」とかなり大きなものだった。

北海道には多くの友人や知人が存在するので気掛かりだが、昨秋の大きな地震の前夜に発信したこの「独り言」に北海道のことに触れ、地震が気になると書いたらその数時間後に大きな地震が発生した朝のニュースに驚いた。

10月に北海道旅行に出掛けたが、登別の旅館を予約してくれたのは苫小牧市民斎場の社長だった。我々がニセコの「紅葉音」に宿泊し、チェックアウトの時間に室蘭市民斎場の会長さん達と迎えに来てくれ、あちこちを観光して登別まで送って貰った。

大坂を出発する日の朝に自宅目から星が飛び出すようなハプニングがあり、腰の激痛を薬で誤魔化して秋田空港かから青森駅まで五能線を利用したが、車中の座席では腰痛に苛まれたのは言うまでもない。

次の日の函館に向かう津軽海峡フェリーのビューシートでは、リクライニングをフルにして眠り込んでいたが、ニセコと登別では部屋の露天風呂が温泉だったのに1回しか入らなかったことが心残りとなっている。

平山温泉などでは6回も入浴するのに1回とは残念だったが、腰痛は「温める絵r」「冷やす」の両方があって症状がはっきりしないと問題と言うことからそうしたもので、今でも時折に激痛が出ている。

レントゲン結果で「圧迫骨折」だと知ったが、すぐには完治しないそうで仕方がない。

今日の結びに北海道の皆さんに余震が来ないように手を合わせよう。

今日の写真は富良野のホテルの部屋のテーブルの上に置かれていた「てるてる坊主」を。
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