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2003-10-22

日は、好々爺で    NO 583

『喪主』を体験して一人前の葬儀社。『孫』を持ったら確実に葬儀に対する思いが変わる。それまでは、謙虚に。これは、過去ログに何度も書いたが、葬儀に携わる若い人たちに理解して貰いたい言葉。私自身が体験したから偉そうに言っている。

 さて、そんな存在である孫と久し振りに食事をしたが、店の中に張られているメニュー。漢字をとばして仮名だけ読んでいる。

 もうすぐ4歳になるが、「ありがとう」が読めても、書くまではしばらく必要だろう。

 孫とは、生きた証しに於ける命の伝達。祖父である私の葬儀、「ありがとう」はせめて漢字で書いて欲しいし、さようならのバイバイも「ばいばい」では心残り。もう少し成長するまで生きていたいと思っているが、そんなところに問題が生じてきた。

 来年から外国に行ってしまうことになった。幼稚園も向こうで入園するだろうが、周りが英語ばかりの中でどうなるのだろう? 漢字の前に英語を覚えてしまい、「サンキュー」「グッドバイ」なんて言われたら困ってしまう。

私の家の宗教は、仏教である。教義によると西方浄土に往生となるが、お別れの言葉で「天国」なんて言葉が出たら、導師から「教育が孫まで行き届いていない」と叱られるかも知れない。

 幼い子供が食事をしている姿に幸せを感じるもの。戦争や独裁者によって、飢えに苦しむ子供のことが報じられているが、人間とは何年経っても愚かな争いを続けている。

 航空機や軍艦から、<このボタンを押せば爆弾や砲弾が・・・>
戦争というものは「人」を変え、そのボタンを押させる行動を起こさせる。その着弾点に誰がいようとも、無差別な殺人行為を「自国や家族を守る」という大義名分で包んでしまう。

 人を変えるのは戦争と宗教と言われているが、その宗教が戦争の背景にあるから困ったもの。「平和を獲得するために」「平和を維持するために」との争いは、おそらく地球そのものが消滅するまで続いているだろう。

 隣国に困った独裁者がおられるが、その行動に対する我が国の対応もお粗末なもの。自衛隊のことばかりを強調する政治家もいるし、徴兵制度の見直しなんて発言をした著名人もいた。

 命令指揮を取る人と、前線で直接戦う人とは全く異なる立場。軍事や有事に関する閣議は軍議となるが、それは、相手側と対峙する最前線でやれば、きっと内容が変わる筈。「命令」の文字に「命」が入っていることを忘れないで欲しい。

 ここで、過去ログのことを、もう一度書かせていただく。

 『自動車の安全ベルト、どうして後席が強制されていないのか? それは、後席にしか座ることのない人たちが法律を決めたから』

 昔の仏壇屋さんの宣伝ではないが、「孫三代まで」というような「不幸のない」幸せを考えて欲しいもの。
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