2018-04-01

もう私だけ  NO 8159

別府 杉乃井ホテル熊本で発生した大きな地震のことを思い出す。自宅で観ていたテレビにテロップが流れ「震度7」と出たのでびっくり。きっと震度の誤表記ではと思っていた。横にいた妻に「熊本で大きな地震で震度7だそうだ」と伝えたが、体調を崩していた妻は「震度7なんて熊本にはないでしょう」と返した。

彼女は熊本出身で、あの地震で実家が大変なん被害に遭って建て直しされたが、実家が建てられた年にこの世に誕生した歴史もあり、実家が面影もなく新築された寂しさを感じているようだ。

友人、知人、親戚などで建て直したケースも多く、今朝から新築祝いを持参して熊本へ出掛けた。

妻の同級生にデコポンを栽培している農家があり、いつも宅配便で送って貰うようにお願いしているが、今年が最後になるという寂しい現実を知った。

高齢になって栽培の負担が難しいと決断されたそうで、今日は夕食を共にしている筈である。

そんなところから私は一人で食事の準備をした。炊飯器もハイテクになってうまく行かないので鍋でご飯を炊き、冷蔵庫に会った食材を自分で調理してテーブルに並べたが、これだったら外食するべきだったと後悔した。

ここからは「幸せ列車」の「10年前の独り言」から転載を。

??人から2人へ  NO 2165   2008-03-31

一昨日だったか、俳優の「リチャード・ウイドマーク」氏のご訃報を知った。93歳だったそうだが、「ジョン・ウェイン」氏の主演映画「アラモ」の中で初めて観た時のことを憶えている。銃口が6個もある太いライフル銃が強烈な印象で、この映画の中に登場するエキストラの人数に驚愕したのも懐かしい思い出だ。

当時、中学一年生だった私だが、「駅馬車」を観てから西部劇が好きになり、ジョン・フォード監督の作品の大半を観ている。

今日、過日の新聞広告で知ったDVDを購入するために難波に行った。歴史に残る名画が1本「500円」で販売されている。持ち帰って来たのは「風と共に去 りぬ」だが、あれだけの大作が本当に全部収録されているのだろうかと半信半疑。それは、時間を見つけて観た時に判明することだ。

他に「哀愁」「カサブランカ」「怒りの葡萄」「荒野の決闘」なども目に付いたが、またの楽しみとして次回にミナミへ行った際にまとめて購入して来ようと思っている。

久し振りに出た難波。雨が降っていたので地下街を中心に歩いたが、帰路は小雨だったので恵美須町まで歩き、浪速警察署辺りでタクシーをと歩いていたら全く来ず、東へ歩き、一心寺の前を通って四天王寺西門の横にある消防署のところで乗ることに。

お陰でウロウロしたのを入れ、ざっと計算したら7キロぐらいは歩いたことになるだろう。

さて、大阪の我が業界の中で「五人会」という存在があった。住吉大社の近くの「I本店」のK氏、同じ住吉区長居の「M葬儀社」のM氏、浪速区の「M葬儀店」のM氏、西区の老舗「A社」のK氏、そして私の5人がメンバーなのだが、「あった」と過去形で書いたのは、K氏と浪速区のM氏はすでにお浄土の人になっているからで、皆さん20年前後の大先輩で、私が最年少であった。

そんな中、西区のK氏のご訃報が入った。K氏は、この業界の誰もが知る「粋」な人物。5人で旅行に出掛けたら、それぞれが認め合った個性で熱い葬式談議が繰り広げられ、世話をされる仲居さん達を巻き込んで、本当に面白くて勉強になる経験でもあった。

別府、三朝温泉、西浦温泉、箱根などの出来事が思い出されるが、若い頃から「栄ちゃん」と、皆さんに可愛がってもらった私は幸せ者。そんなところから前述のお2人の葬儀の司会は私が担当したが、どちらの葬儀にも大変な思い出がある。

正月の初めに亡くなられた「I本店」のK氏だが、葬儀が行われた1月5日の冷え込みが強烈で、マイクを持つ手が勝手に震えて止まらなくなるほどブルブルし、これまでで最も気温の低かった体感として記憶している。

浪速区のM氏の葬儀は、「阿倍野の天空館で」という意見もあった中、近くの地域会館で行われ、保護司の重職にあった人物ということもあり、誰もがびっくりされたほどの会葬者数だった。

私が司会を担当するということから、ご家族やスタッフの皆さんのお気遣いで音響システムを特別にご準備くださり恐縮。ご本人のお写真を10数枚拝借し、弊社で追憶ビデオを編集、お通夜と葬儀当日に異なるバージョンの生ナレーションで対応した。

これで5人の内、3人がお浄土の人となり、私と住吉区のM氏の「2人会」となってしまった。M氏は関西演芸協会の相談役として、その世界でも著名な人物だが、息子さんを亡くされて辛い思いをされている。

K氏のお通夜にはかなりの弔問者が来られるだろうが、この雨が止んでくれることを願いながら手を合わせよう。

今日の写真は五人会で行った別府「杉乃井ホテル」を。当時は高級ホテルだったと記憶しているし、大分空港から乗ったタクシーで一人が「運転手さん、停めて」と急停車。それは無人売店を目にしてトマトを買うことで、車内で運転手さんも一緒に食べたことが懐かしい。
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