2020-02-11

死ぬまでにしなければ  NO 8708

m  前号で不整脈に触れたが、野村監督が「虚血性心不全」で亡くなられて気になっている。ちょっと右の胸に痛みを覚えるし、身体がだるくてしんどい状態。何か食べなければと友人の割烹へ行ったら、さっきまでゴルフ仲間のファミリーが来られていたことを聞いた。

大病を患ってからはゴルフも出来なくなったが、その前までよくご一緒していたので当時が懐かしい。バブル期の法人会員だったのでご一緒するといつもメンバー料金だったし、VIP扱いだそうでロッカーも別室で独立していたし、洋風と和風の浴室まであったのだからびっくりした。

幹線道路からゴルフ場へ繋がる道路に入ると、途中に検問所みたいなところがあってチェックを受けるが、いつも顔パスになっていたことも憶えている。

野村監督の「ぼやき」と「囁き」が好きだった。晩年で印象に残っているのが日本ハムの中他選手の不振について「髪の乱れは心の乱れ」と指摘され、茶髪になった中田選手に鋭く切り込まれ、数日後に黒髪に戻った中田選手がヒットを連発したので驚いた。

割烹の友人も高血圧の薬を服用しているが、もう40年前から服用している私なので「血圧チェックは重要だよ」とアドバイスして来たが、ハンデキャップ12の頃にオープンしたゴルフクラブで、競技のある日はゴルフ場でモーニングコーヒーをせずに、自宅で済ませて薬を服用してから名阪国道を走行したことを憶えている。

スタート前に血圧降下剤を服用すると、丁度4番ホールぐらいで指の血管が広がってくる感じが起こり、そのホールでのミスショットのパーセンテージが高く、4番ホールは鬼門のホールと考えていた。

月例競技や研修会で優勝した時は、自宅で軽い朝食を済ませて薬を服用していたし、早めに出発をして柳生街道を抜けて五月橋に出る行程で時間を調整し、ティーグランドに建った時には4番ホールで感じた兆候が過ぎているので好スコアに繋がり、ハンデ7まで順調に進み、理事長杯かクラブ選手権で優勝して金看板をと考えていたが、そんな矢先に脳梗塞を患った。

その1年前に腹部動脈瘤の手術を受け、手術の前日に執刀医が病室で模型を使って説明してくれたが、数時間血流を止めるので新しく血液が流れ始めた際、血管内のゴミが流れ出す危険性があると指摘され、心臓付近なら心筋梗塞、頭部なら脳梗塞と脅されていたが、たいいんしてからしばらくすると次々に異変を感じ始め、それらを医院の先生に伝えていたが、それが1月の話で、「3月になったらMRI検査を」と言われていたが、2月に発病してしまったのだから最悪だった。

指先の痺れ、異常な足の冷え、湯船に入ったら左半身が水風呂、呂律が2秒間回らなかった、テレビの画面がシネマスコープみたいに上下が狭くなった。そんなことから眼科で視野検査を受けたら完璧と思っていたら下半分が駄目だった。

その原因を尋ねると「加齢でしょうね」と言われたのだが、その数日後に発病したのだから運命とは分らないもの。

前述した割烹の友人とは発病する数時間前の銭湯のスチームバスの中で会っており、熱い吹き出し口から出て来る風が涼しいことないか?と行っていたことがすでにおかしかったことになる。

私が高血圧と判明したのは35才の時で、偏頭痛みたいな兆候があったので寺田町にあったクリニックを受診したら、「よく生きていたな!」と先生に言われ、血圧が195もあったので衝撃を受け、それから軽い安定剤と睡眠導入剤を服用するようになったが、その時に始めた血圧降下剤は今でも服用を続けている。

最近で困っているのは右目が見えなくなりつつあること。目の血管が梗塞していたことが判明したが、タイムリミットを過ぎていたのでどうしようもなく、これも宿命かと受け入れている。

膵炎からアルコールは厳禁だし、好物の天ぷらや野菜の串カツも避けている。運転免許証は返納したし、ゴルフも出来なくなってしまった。夢だった北海道の温泉を車で回ることは叶わなくなったが、JRの「ジパング倶楽部」に入会して利用している。

後遺症とはびっくりするもので、左半身の知覚障害があるので左手の熱い冷たいが分らないが、注射や点滴の針の痛みも感じないので助かっているが、入浴時に左半身が水風呂に感じるのだけは治って欲しいと思っている。

近々に東京へ行く所要がある。委任状にサインをして実印を持参する必要もあるので忘れないようにしたいが、松阪で会った方々と再会して事が始まることになる。

今日の写真はネット記事にあった珍しい写真を。強烈な磁場を発するMRIで車椅子が張り付いてしまったものである。
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