2006-05-26

寂しいけれど  NO 1516


 高段者と碁を打っていると<エッ!>と驚かされる打ち込みに驚かされることがある。<そんなの無理だろう?>と思っていたら段々と逼迫し、気が付けば勝敗を左右する「劫」という状況になっており、こうなれば高段者が確実に有利な展開となってしまう。

 故に「劫」を仕掛けられるようになって、初めて碁の入り口に立ったとも言えるだろう。

 落語「寿限無」に途轍もなく長い名前が登場し、その中に「五劫の摺り切れ」という言葉が出て来るが、これは過去に書いた「天女の羽衣」の物語に由来している。

「劫」とは、一辺が160キロもある岩に、3年に1回舞い降りてくる天女の羽衣が触れ、岩が擦り切れるまでの長さを表す単位であり、この字は未来永劫という言葉などにも使われている。

古代のインドで時間の単位だった「劫」は、梵語から「カルパ」と音訳されるそうだが、「億」や「兆」などの数字の単位にも「京」に続く大きな数字が幾つも存在し、ゼロを生んだインドの不可思議な世界が興味深いところだ。

 それらの一つに「載」という単位があり、何と「10」の「44乗」というのだからびっくりする。

 仏教の講義で学んだことだが、法華経に「塵点劫」という喩えの物語りがあり、それは気の遠くなりそうな数字で想像出来ないものだった。

  この世に存在するすべての土を粉々に砕いて砂にし、それを千の国を通った際に一粒ずつ撒き、その砂がなくなるまでに通った国の数というのだから信じられな いほど遠い世界。それらは天文学の数字にも折り重なってきて面白く、無限を表す「横8」を思い浮かべて自己納得するばかりである。

 ホリエモン氏が「諸行無常」という言葉に興味を抱いていたようだが、ニュースを耳に「商業無情」の間違いではと思ってしまった。

 この言葉の意味には程遠いが、私の思い出の車を乗り換えることにした。今や日本国内で5台と走ってしないクラシックイメージのキャデラック、全長5メートル70で5700ccのエンジンを搭載している乗用車である。

 角型の最後の形式、その後すぐに丸いスタイルでスポーツカーみたいになってしまったキャデラックだが、我々団塊世代にには憧れの存在だった歴史があり、今でもあちこちにを走行してサービスエリアに停めると注目を浴びている。

 大事に乗ってきたところから外観は美しい状態、これまでの走行距離は13万キロだが、車の好きな人があれば格安で譲ってもいいかなとも思っているが、次の車が入れば「さようなら」思い出を有り難うと手を合わせて見送ろうと考えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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